アンメット・メディカル・ニーズ

グリアから
神経難病の
解明に挑む

グリア細胞から脳機能
神経難病の病態に迫る

脳や脊髄・神経が侵される神経疾患は、その多くが原因不明で、根本的な治療法が確立していない難治性疾患だ。症状が長期にわたったり、重度の後遺症が残るなど長く苦しめられることも少なくない。「アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経細胞が変性する疾患がよく知られていますが、グリア細胞、とりわけミエリン(髄鞘)の異常が関わる脱髄性疾患もかなりの割合を占めます。多発性硬化症やギラン・バレー症候群の他、近年では統合失調症や双極性障害(躁うつ病)などの精神疾患などにもミエリンの異常が関与しているのではないかと考えられています」。そう語る山口宜秀准教授は、神経系を構成するグリアに焦点を当てて脳機能や神経難病の病態に迫ろうとしている。

中でも関心を持っているのが、グリア細胞から形成されるミエリンだ。「ミエリンは、細胞膜が何重にも巻き付いた多重膜構造をしており、有髄神経の軸索を覆って絶縁体の役割を果たしています。一定間隔で軸索を覆い、跳躍伝導に働くことで、スピーディな神経伝導を可能にしています」と言う。山口准教授は、ミエリンが生体内でどのように形成されるのか、あるいは病気になるとどのように壊れるのかを詳らかにし、神経疾患の新たな治療法の確立につなげることを目指している。

世界初・哺乳類にも普遍的に存在する
翻訳リードスルータンパク質を発見

シャルコー・マリー・トゥース病(CMT病)も末梢神経系の脱髄性神経疾患の一つである。ミエリンが障害されることで神経伝導速度が極端に遅くなり、それによって四肢、特に下肢先端部の筋力低下や筋委縮、感覚障害などを引き起こす遺伝性疾患だ。これまでに80以上の原因遺伝子が突き止められているが、いまだ有効な治療法は見つかっていない。

山口准教授は、2020年、CMT病の発症メカニズムや病態の解明につながるかもしれないマウスモデルの作製に成功した。その立役者ともいうべき物質が、ラージ・ミエリンタンパク質ゼロ(L-MPZ)である。「L-MPZは、末梢神経ミエリンを構成するミエリンタンパク質ゼロ(P0)の翻訳リードスルータンパク質です」として山口准教授は、次のように解説した。遺伝子の塩基配列からタンパク質が合成される際、ごくまれに塩基配列の終了を示す終止コドンを読み飛ばし(リードスルー)、次の終止コドンまで翻訳を伸ばして新しいタンパク質が産生されることがある。翻訳リードスルーはウイルスからショウジョウバエまで遺伝子数の少ない生物で普遍的に行われていることが知られていたが、山口准教授らは、翻訳リードスルータンパク質L-MPZが、カエルからヒトを含む哺乳類にまで存在することを世界で初めて発見。高等生物でも翻訳リードスルーが行われることを示した。

ORF:オープンリーディングフレーム

神経難病の病態解明につながるモデルマウスを作製

L-MPZマウス末梢神経の組織学的異常
(Otani et al., Commun Biol. 2020より)

「続く研究でL-MPZの生理的機能の解明を試みる中で、L-MPZの発現を過剰に増加させたマウスがCMT病と同じような末梢神経障害を引き起こすことを発見しました」。山口准教授によると、P0はミエリン膜同士の接着に関与するタンパク質で、ミエリンの形成や維持に重要な役割を果たしている。またP0遺伝子は、CMT病をはじめ重篤な遺伝性脱髄疾患の原因遺伝子としても知られているという。このP0を、リードスルータンパク質であるL-MPZに置き換えたらどのような変化が生じるか。山口准教授はマウスを使って検証を試みた。

まずゲノム編集によってP0遺伝子の正統な終止コドンを別のコドンに変え、二つ目の終止コドンまで翻訳を伸ばし、P0の代わりにL-MPZ のみを産生するL-MPZマウスを作製する。樹立したL-MPZマウスのホモ接合体(Hom)とヘテロ接合体(Het)を8~10週齢の成体にして解析を行った。

「テイルサスペンジョンテストやロータロッドテストなどの運動機能試験、および電気生理学的神経伝導試験を実施した結果、P0が完全にL-MPZに置き換わったHomマウスでは下肢を中心とした運動機能の低下、運動神経伝導速度や複合筋活動電位振幅の低下が認められました。これらは生体内でミエリンが壊れていること、またそれによって神経細胞そのものも異常をきたしていることを示唆しています。加えて神経線維連絡の異常による筋委縮も見られました」と言う。

続いて坐骨神経組織を免疫染色したり、電子顕微鏡を用いたりしてミエリンの様子を観察した。するとミエリンの厚みが減って軸索が小径化したり、細胞膜の巻きつきが緩くなるなど、ミエリンの形態異常や破壊が顕著に表れた他、物質輸送用の経路の構造異常、ランビエ絞輪周辺の構造異常、マクロファージの浸潤や小胞体ストレスの増加など、多くの異常が見て取れた。「これらはいずれもヒトのCMT病の症状と一致するものです。この結果からL-MPZマウスは、CMT病のモデルとして有用だといえます」とした。

「L-MPZマウスの発達過程や成体以降の病態の進行を調べれば、末梢神経障害の発症メカニズムや病態を解明できるかもしれない。さらにはL-MPZの異常や、翻訳リードスルー調節の破綻によるL-MPZの異常産生が、CMT病発症に関与している可能性も考えられます」と語る。今後はL-MPZ以外のものも含め、翻訳リードスルーの制御メカニズムやその破綻や病気との関連、ミエリン形成・維持に関わる他のタンパク質などを調べていくという。CMT病の新たな治療法開発にひと筋の光が見えてきた。