名誉教授コラム

生命の定義:生物は細胞でできている(生物学の体系による理解)

山岸 明彦
 

生物の性質

生物には共通する性質がある。例えば、生物は子を産むことや細胞分裂して増殖すること、食べ物や栄養源を取り込んでエネルギーを得ることなどの性質をもっている。また、生物は一細胞二細胞、一匹二匹と数えることができ、進化する性質ももっている。これらの性質は、増殖、代謝、境界の存在、進化といった基準に整理されて、生命の定義としてまとめられることがある。しかし、このコラムで解説するように生命を定義するのは難しい。どうも生命は定義されるのではなく、生命は生物学の体系で理解される、ということの様だ。どういうことだろう。

ジョイスの定義

生命の定義はたくさんあるが、研究者の間では、ジョイス(Joyce, G.)による生命の定義が良く知られている。ジョイスは「生命とは、ダーウィン進化を行いうる、自己維持できる化学システムである」(Joyce 1994)と定義した。この定義には、進化や代謝という基準が含まれている。(ダーウィン進化については、名誉教授コラム「チャールズ・ダーウィンはかく語りき」参照)。また「ダーウィン進化を行いうる」ためには増殖が必要なので、増殖という基準も含まれている。

生命の定義の問題点

しかし、こうした生命の定義や基準には長年にわたり批判がある(山岸2023)。特に増殖という生命の基準には批判がある。例えば、我々が野外でみるアリは働きアリであり、働きアリは卵を産めない。したがって働きアリは増殖できないが、働きアリを生物と思わない人はいない。つまり増殖という基準は生命の判定に使いづらい。増殖しなければ進化もしないので、進化という基準も判定に使いづらい。

増殖や進化という基準が生命の判定に使えないとして、他の基準は判定に使えるだろうか。例えば、ヒトの赤血球は生命だろうか。ヒトの赤血球は核を失い、分裂することができない。しかし赤血球は境界(細胞膜)をもち、代謝をしている。境界と代謝の基準は満たしているようにも思える。しかし赤血球を生命とはよびにくい。つまり境界と代謝の基準も、やはり生命かどうかの判定に使いづらい。

定義されない事柄

これまでに100近い生命の定義が提案されている(Popa 2004)。しかしそれぞれの定義には何らかの問題があり、専門家の間でも生命の定義に関する統一見解はない。そもそも、定義とは何なのかという問題がまずある。また言葉で定義しようとすると、言葉の持つ意味の不確定性も問題となる(山岸2023)。専門家が一致できる生命の定義はない。

一方、クリランド (Cleland, C. E.) は、物理学や化学では概念を必ずしも言葉で定義しないということを指摘した(Cleland 2019)。例えば、物理学では「質量」や「力」の概念が説明されるが、これらの概念を言葉で厳密に定義しなくても、f = mα(fは力、mは質量、αは加速度)といった理論式で物理現象を説明できる。同様に、「水」を言葉で定義することは難しいが、化学ではH₂Oという分子式で水を明確に表すことできる。このように物理学や化学では、言葉による定義がなくても物事を理論体系によって説明できる。生物学でも何かを定義するのではなく、生物学の体系で生命を理解できるのではないかというわけである。

生物学の体系

クリランド自身は生命の定義に代わる生物学の体系を提案しているわけではない。しかし、生物学の教科書を見れば、生物学の体系がわかる。例えば世界中の大学で使われている教科書『細胞の分子生物学』(Alberts et al. 2017) では、細胞が全ての生物の基礎であるとして、細胞の性質が説明されている。また単細胞生物と多細胞生物の存在、多細胞生物発生の仕組みについても解説されている。つまり、生物学の体系はすでにできている。

例えば先のヒトの赤血球に関していえば、「ヒトの赤血球は血球の元となる細胞から分裂して誕生した細胞で、分裂後に核を失った細胞であるが、約120日間は代謝を続けている」と、生物学の体系で理解することができる。つまり、何かに関して生命の定義で判断するのでは無く、それがどういう物であるのかを生物学の体系で理解すれば良いということになる。

生物は細胞でできている(生物学の体系での理解)

生物学の体系では、生物は細胞でできているといえる。細胞は境界に囲まれ、代謝によって状態を維持している。しかしそれでは細胞を定義できるかといえば、やはり定義できない。

例えば細胞をすりつぶした破砕液を油の中に細粒として分散させた時、細粒を細胞とよべるだろうか?この状態の細粒も、境界に囲まれ、しばらくは代謝によって状態を維持している。油を振動すれば細粒は分裂するかもしれない。つまり細胞の性質をもとに細胞を判定しようとすると、やはり悩ましい問題がでてくる。一方、「これは細胞破砕液であって細胞ではない」と、生物学の体系で理解することができる。

さらに、たとえば地球の外で生命らしきものが発見された時にはどうしたら良いだろう。新しい発見があれば、それによって生物学の体系が変わり、生命の理解が変わるかもしれない。新しい生物学の体系で生命を理解することになるはずである。

参考文献
Alberts, B. et al. (2017) 細胞の分子生物学 第6版 (中村桂子他監訳), Newton Press.
Cleland, C. E. (2019) "The quest for a universal theory of life", Cambridge University Press, Cambridge.
Joyce, G. (1994) Foreword, in "Origins of life: The central concepts", Jones and Bartlett Pub., Boston.
Popa, R. (2004) Appendix B, in "Between necessity and probability: Searching for the definition and origin of life", Springer Verlag, Berlin.
山岸明彦 (2023)日本惑星科学会誌 32, 68 – 122.

図作成に使用した元写真のURL https://toyaku-univ.box.com/s/5tkzwqbp07jvrbo7zn9bb7z2c4b42y9k

投稿日:2025年06月06日
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