医療データベースから抗がん剤による有害事象の発現率を評価
医薬品の効果やリスクにはさまざまな要因が関連するため、それらをすべて見極めることは非常に難しい。その中で近年、大規模な集団を対象に、薬物治療の有効性や安全性、さらに経済性など多岐にわたって評価する薬剤疫学の重要性が増している。とりわけ情報技術の進展によって、電子カルテや保険請求データなど、リアルな臨床現場を反映した膨大なデータが蓄積されてきている。清海 杏奈助教は、これらの医療ビッグデータを駆使し、臨床現場や臨床試験では把握しきれない医療の課題やその多面的な要因を明らかにしようとしている。
最近の取り組みの一つに、国立病院機構と共同で、全国規模で医療データを集積した行政のデータベース「DPC(Diagnosis Procedure Combination)」のデータを用い、ベバシズマブによるタンパク尿の発現と降圧薬の影響を評価した研究がある。
「ベバシズマブは抗がん剤の一種で、結腸・直腸癌、肺癌、卵巣癌、子宮頸癌、乳癌、悪性神経膠腫など幅広いがんの治療に用いられています。ベバシズマブには、高血圧、タンパク尿、出血といった有害事象が見られますが、タンパク尿の発症率や予防法、治療に関する知見は乏しく、また高血圧との因果関係も明白ではありません」と、研究背景を説明した清海助教。DPCデータを用いて、ベバシズマブによるタンパク尿の発現率とリスク因子を明らかにするとともに、降圧薬がタンパク尿の予防や治療に与える影響を評価した。
2016年1月〜2019年6月に、ベバシズマブを投与した入院患者2,458名のデータを対象に分析を行った結果、約27%がベバシズマブ投与後にタンパク尿を発症したことが明らかになった。「これにより、従来の報告よりも多くの患者が、タンパク尿を発症している可能性が示唆されました」。またタンパク尿発症のリスク要因として、看護介助が必要な状態であることや、収縮期血圧が140mmHg以上であることが同定された。「看護介助の必要性や高血圧は、タンパク尿の予測因子であり、リスクの高い患者はより厳密なモニタリングが必要だといえます」と考察している。
一方で、降圧薬とタンパク尿との間に有意な関連はないことが示され、ここでも既存研究では見えなかったことが明らかになった。
米国のCOVID-19の治療薬投与における
人種・民族、地理的格差を明らかにする
現在は、国立病院機構の診療情報集積基盤(NDCA)と診断情報データバンク(MIA)を用いて、COVID-19(新型コロナ)患者を対象に、臨床アウトカムや医療経済的アウトカムを地域別比較し、地域間の医療提供格差を詳らかにする研究に取り組んでいる。
また2021年から1年間、アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に研究員として留学中に、現地でも複数の研究成果を挙げている。その一つに、COVID-19の抗体製剤の投与状況について、人種や民族、地理的な格差に焦点を当てたHealth Equity(健康の公平性)に着目したユニークな研究がある。
「2020年12月~2021年10月の間に、UCSF Medical Centerを受診したCOVID-19患者のデータを分析しました。調査期間内にCOVID-19のモノクローナル抗体を投与された患者529名の人種・民族を見ると、約半数46.1%が白人で、黒人やアジア系、そのほかの人種・民族の割合は極めて低いことが明らかになりました」と言う[図1]。さらに詳細に分析すると、白人と比べてラテン系は、投与された年齢層が比較的若いことが分かった。「COVID-19に感染しても働き続けた人の多くは労働者層で、そこに多くのラテン系をはじめ白人以外の人種・民族が従事していることが推察されます」と考察する。
加えて清海助教が注目したのが、白人の大半が外来で投与されているのに対し、白人以外のアジア系、ラテン系、黒人患者の多くは、重症に陥ってから救急外来に運び込まれ、抗体製剤を投与されている点だ。「ここからも重症にならなければ病院に行かない、行けない人々の状況が見て取れます」と、人種・民族差の背景に経済・社会的要因が潜んでいることを浮き彫りにした。
さらに清海助教は、居住地域によって、医療へのアクセス可能性に明白な違いがあることも突き止めている。「調査対象エリアでは、カリフォルニア州において健康な地域の指標であるHPIスコアの高いエリア、及びヘルスケアへのアクセスを示すHAスコアの高いエリアと、両者が低いエリアが明らかに区分されました。また白人の患者は、HA/HPIスコアが高い人ほど、COVID-19の製剤投与を受ける人が増えていた一方、ラテン系・黒人の患者は反対に、HA/HPIスコアが高い地域にもかかわらず、治療へのアクセスが低いことが明らかとなりました[図2]。これからも人種や民族、居住地域によって医療へのアクセスに格差があり、それが健康格差につながっている現実が示唆されました」
日本の若手製薬研究者の一人として
米国研修プログラムに選出される
2022年9月、清海助教は、モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団の「マンスフィールド-PhRMA(米国研究製薬工業協会)研究者プログラム」に選出され、米国研修ツアーに参加した。同プログラムは、国際交流と専門家のキャリア開発を目的に、日本の若手製薬研究者がアメリカに招聘されるものだ。多くが臨床医の中で、薬学の専門家として唯一選ばれたのが、清海助教だった。
2週間、現地で米国のトランスレーショナルリサーチや保健医療政策、医薬品研究開発、規制状況など、創薬エコシステムについてFDA、Harvard大学、MIT等で学び、多くの知見を得たことに加え、メンバーと知己を得たことも、大きな収穫だったという。「現在、メンバーの数名と、医療情報データベースを活用した共同研究の計画を進めているところです」。今後の清海助教らの研究成果が、日本の薬物治療の質向上に大きく貢献していくに違いない。