母乳中の薬物が乳児に及ぼす影響を検討
母乳は、乳児にとって優れた栄養源であるだけでなく、免疫機能を高め、感染症やアレルギー発症を予防するなど、多くのメリットがあるといわれている。一方で、母乳育児中の母親が服用する薬や化学物質が、乳児の健康や成長に影響を及ぼす危険性が指摘されることもある。身体や機能が十分発達していない子どもに薬物が及ぼす影響は、成人とは大きく異なる。
田中祥子助教は、これまでに母乳中の薬物が乳児に及ぼす影響や、小児における薬の適応外使用に関する用量・用法についての調査研究を行ってきた。カナダのトロント大学での研修中には、米国国立衛生研究所(NIH: National Institutes of Health)の運営する薬と授乳に関するデータベースLactmed(Drugs and Lactation Database)のデータ作成に関わった経験も持つ。Lactmedは、母乳や乳児の血液中に含まれる薬物や化学物質の濃度、乳児への影響、代替可能な治療薬などに関し、科学的な根拠に基づいた情報を提供している。田中助教が作成・提供したデータも、Lactmedの充実に生かされている。
また母乳中の薬物が乳児に及ぼす影響について、いくつかのケーススタディーを実施している。その一つが、授乳中の母親が服用する抗精神病薬が乳児に及ぼす影響を調査した研究だ。ペロスピロンという抗精神病薬を継続して服用する母親の母乳を分析し、ペロスピロン濃度を経時的に測定。ピーク値が定量限界以下で、母乳を飲んだ乳児に薬物が影響を及ぼす可能性は極めて少ないことを報告した。
乳由来エクソソームに着目し免疫寛容誘導のメカニズムに迫る
田中助教は、母乳を必要とする早産・極低出生体重児に、寄付された母乳を処理した「ドナーミルク」を提供している一般社団法人日本母乳バンク協会と連携し、賞味期限切れなどでドナーミルクとして利用できない母乳の提供を受け、研究に有効活用している。最近、同協会から提供された母乳を試料として用い、母乳が新生児のアレルギー発症を予防する可能性を検討する研究を行った。
「近年、小児のアレルギーが増えており、小児の約4割が喘息やアトピー性皮膚炎など何らかのアレルギーを抱えているともいわれています。それに対し母乳は、乳児期のアレルギーを制御する可能性が報告されており、世界保健機関(WHO)でも母乳哺育が推奨されています」と田中助教。アレルギー性疾患は、アトピー性皮膚炎や食物アレルギーを始まりに、年齢とともに気管支ぜんそくや鼻炎など、次々と出現していくことが知られている。「しかしこのアレルギーマーチに対する抑制効果については、現在のところ学術的にも見解が統一されていません」と言う。
田中助教は、母乳に含まれる成分が、乳児の腸管免疫系にどのような影響を及ぼすのか、遺伝子レベルでそのメカニズムを明らかにしようとしている。着目するのが、乳由来の細胞外小胞(エクソソーム)だ。「エクソソームは、mRNAやmiRNA(マイクロRNA)などを内包し、細胞間コミュニケーションに重要な役割を担っていることが知られています。中でも遺伝子発現の転写後抑制に関与するmiRNAは、母乳あるいは乳児用調整粉乳中から検出されており、異種間においても免疫調節に関与することが分かっています。そのため腸管でも、miRNAが免疫調節に寄与しているのではないかと考えています」。そこで田中助教らは、乳以来のエクソソームに内包されるmiRNAなどの働きに着目し、Foxp3のような免疫寛容(アレルゲンを受け入れる)の誘導に関与する遺伝子の発現に及ぼす影響を突き止めようと試みた。
免疫に関わる遺伝子発現に及ぼす
乳由来エクソソームの影響を検討
研究では、健常な成人から採取したさまざまな免疫細胞を含む末梢血単核細胞(PBMC)に、母乳バンクから提供された母乳とウシ乳由来の調整乳から精製したエクソソームを添加し、実験を行った。「まずエクソソームに内包されるmiRNAが、免疫寛容誘導に関与する遺伝子の発現に関与している可能性を調べましたが、本研究では、エクソソームを添加しても、免疫細胞の制御性T細胞(Treg細胞)のマーカー遺伝子であるFoxp3mRNA発現に顕著な変化は見られませんでした」と言う。
次いでDNAメチル化(DNMT)による遺伝子発現制御の可能性も調べた。DNAメチル化は、遺伝子発現を抑制することが知られている。「既存研究で、miRNA(miR-148a)がDNMTの発現を阻害し、Foxp3の発現を回復させることが報告されています。今回の実験では、ミルクによってばらつきはあるものの、DNMTの発現と、Foxp3の発現に負の相関があることが確かめられました」と田中助教。また乳由来エクソソームを添加したPBMCにおいて、miRNAとDNMT1mRNAの発現の有意な関連は見られなかったものの、乳由来エクソソームを添加すると、エクソソームを添加しないコントロール群に比べて、Foxp3+CD25+Treg細胞の割合が増加する傾向があることを確認した。
一方、小腸上皮様細胞では、乳由来エクソソームの細胞内への取り込みの増加は認められなかった。またPBMC細胞内の乳由来エクソソームは、Tリンパ球よりも単球細胞に効率的に取り込まれることも確認。乳由来エクソソームが関与する免疫寛容誘導のプロセスの一端が見えてきた。
その他、搾乳時期や由来の異なる母乳由来エクソソーム内のmiRNA発現量の比較も行っている。「ヒトの乳由来エクソソーム内のmiRNA発現量は、他の組織と比べて際立って多く搾乳後の時間の経過に伴ってmiRNAの種類や発現量が異なることも見えてきました。今後、データベース解析を進めていくつもりです」と言う。
母乳や人工乳由来のエクソソームが腸管免疫系で機能することが明らかになれば、アレルギー疾患の他、生活習慣病の予防にも応用が期待できる。メカニズムの解明を目指し、田中助教はさらに研究を進めていく。