名誉教授コラム

人と動物と薬の歴史

井上英史

人類はいつから薬を使い始めたのでしょう?

紀元前2000~3000年頃のメソポタミアやエジプトなど古代文明の文字資料には、イチジク、ナツメヤシ、ケシなど、薬として用いた植物や動物、鉱物が多数記載されています。

日本に現存する最古の書物は古事記(712年)ですが、薬にまつわる話として「因幡の白兎」があります。サメに毛を剥がれ海水を塗られて苦しんでいた兎に、大国主命は水で体を洗ってからガマ(蒲)の穂を体にまぶすように教えました。ガマの花粉(穂黄)は、止血剤となる生薬です。

このように、文字記録が残される頃は既に、人類はさまざまな薬草を使っていました。…ここまでは大学の講義でも話してきました。それ以前はどうだったのでしょうか?

縄文人と薬

縄文遺跡から薬草の使用を示す証拠は見つかっているか、縄文時代の食文化を化学分析法も使いながら研究している友人の考古学者N氏に尋ねてみました。

万葉集には、薬草を含め多くの植物が詠まれています。万葉植物の一部は、種子が遺跡から出ています。しかし、薬として使ったかはわからないとのことでした。葉の部分は、土に埋もれた状態では残らないので、縄文人が煎じて飲んでいたとしても遺跡からは出てきません。

一方、縄文時代前期(およそ7千年前)の遺跡から、キハダの果実や種が多数出土しています。1万年近く前の縄文時代早期の遺跡からも見つかっているそうです。キハダが縄文人にとって身近な植物だったことがわかります。

キハダはミカン科の落葉樹で、名前は樹皮の内側が鮮やかな黄色であることに由来します。果実は、柑橘系の強い香りと山椒のような刺激的な味で、アイヌ料理で香辛料として使われています。樹皮は、健胃や消炎などの作用がある生薬オウバクの原料であり、黄色の染料としても使われます。縄文人もキハダを薬や染料として利用していたという説があります。

また、ノビルが大量に焦げ付いた土器が出土しているそうです。ノビルの鱗茎は、中国で生薬として使われます。食用だけでなく薬用の目的があったのかもしれません。

ネアンデルタール人と薬

さらに遡ってみましょう。インドネシアのボルネオ島で発見された約3万1千年前の人骨について、一方の足が外科的に切断されたものがあることが、2022年に報告されました。手術後に回復しているようで、当時の人たちが高度な医学的知識をもっていたことが窺えます。手術が成功するためには、感染防止が重要です。感染防止に薬草が使われた可能性がありそうです。[Nature 609, 547 (2022)]

私たちホモ・サピエンスは、ヒト属で現存する唯一の種です。しかし、4万年前頃までは、ネアンデルタール人が共存していました。

4万8千年前のネアンデルタール人の歯石中のDNAを解析することによって、食物や健康状態を遺伝学的に推定する論文が、2017年のネイチャー誌に掲載されました。この論文によると、歯性膿瘍や腸管病原体が認められたネアンデルタール人が、その苦痛を抑えるために、鎮痛作用をもつポプラや抗生物質を産生するペニシリウム属細菌を用いていたと考えられます。[Nature 544, 357 (2017)]

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間には交雑があり、彼らの遺伝子の一部が私たちにも引き継がれていると言われています。彼らが薬草などを治療に使っていたのであれば、当時のホモ・サピエンスも同様と考えて良いのではないでしょうか? 薬の歴史は、このように人類史を遡ることができます。

では、ヒト以外の霊長類は薬を使うのでしょうか?

チンパンジーと薬

アフリカ中部ガボンのロアンゴ国立公園のチンパンジーについて、つぶした昆虫を傷口に塗り込んでいることが、2022年に報告されました。昆虫に含まれる抗菌成分が傷の治癒に役立っている可能性が考えられます。[Curr. Biol. 32, R112 (2022)]

チンパンジーが栄養摂取以外の目的で植物を食べるらしいことは、もっと以前から観察されていました。[J. Mass Spectrom. Soc. Jpn. 46, 173 (1998)]

タンザニアのある地域で、野生のチンパンジーがキク科植物の葉を1枚1枚口に入れて噛まずに飲み込むことが、1983年にアメリカの研究グループによって観察されました。そこから少し離れた地域で、同じキク科植物の葉がチンパンジーの糞便に未消化で含まれることを、京都大学の西田博士が発見しました。

彼らは共同で研究し、天然物化学者も加わり、この植物に抗菌・抗線虫・抗ウィルス活性をもつ化合物が含まれることを見出しました。チンパンジーが抗菌や寄生虫駆除にこの植物を利用していることが考えられます。チンパンジーが食している部位に含まれるカウレン酸やグランジフロレン酸には、抗菌作用等のほかに子宮に対する作用もあります。オスよりもメスによる摂食が多く観察されることから、生殖のコントロールに用いられているという説もあります。[Phytochemistry 31, 3437 (1992)]

チンパンジーを含む霊長類が植物や昆虫を用いて自己治療を行なっていることは、その後も、京都大学のマイケル・A・ハフマン博士などから多くの事例が報告されています。

いろいろな動物と薬

霊長類以外の野生の動物も、細菌や寄生虫の感染に常にさらされていますが、案外と健康です。自然界の物質を利用して自己治療をしているようです。[シンディ エンジェル著『動物たちの自然健康法―野生の知恵に学ぶ』(2003年)]

例えば、病気のゾウやさまざまな動物は、抗生物質を含む粘土や、いろいろな化合物を含む泥を食べます。泥を飲んだり肌や傷に塗ったりする健康法や美容法は、人間もやっていますね。

タンニンの多い果実や木の樹皮は渋いので、私たちは食べません。しかし、サイなど多くの野生動物で、タンニンを大量に含むものを食べることが観察されています。シカは、選択の余地がある場合、タンニン濃度が低い食物よりもある程度タンニンを含む食物を選ぶそうです。どうしてなのでしょう? 腸内寄生虫の駆除と関連するようです。

出荷用のシカにタンニンの多い植物を餌として与えると、虫下しの化学薬品が少量で済むという話があります。タンニンは、タンパク質に結合して凝集させる性質があります。タンニンを含むものを口にすると、粘膜にはりついて収斂させ、このことが“渋味”のメカニズムだと考えられています。こうした収斂性によって、タンニンは腸内の寄生虫を傷害していることが考えられます。

タテガミオオカミは、淡水魚を食べることによってジンチュウという巨大な寄生線虫に感染しますが、ロベイラの実を食べることによってこの寄生虫を駆除すると考えられています。ロベイラには、ある種の寄生虫に対して殺虫性を示すアルカロイド成分が含まれています。

こうした“虫下し”の性質をもった植物を食べることが、野生動物を寄生虫症から守っているのでしょう。

野生の動物に学ぶ

このように、さまざまな物質を薬として利用するのは、人類だけではないようです。野生の動物は、日頃は毒になるものを避け、安全かつ必要な栄養素を含む食べ物を探し求めます。体調が良くないときは、それを癒すことができるものを口にします。彼らは、栄養学や薬の知識をもたなくても、体に必要な成分が含まれるものを摂取し、必要以上は口にしない習性をもっていると考えられます。

今でこそ創薬は生命科学の最先端にありますが、比較的最近まで、薬は経験的に使われてきた薬用の動植物が主でした。それは、有史以前からの経験の積み重ねによるものです。きっと、動物の行動からも学んでいたことでしょう。