食品機能を改質する新たな酵素の研究
「食品」は、人が生きるために不可欠なもので、「安心・安全」でなければならないのはいうまでもない。それだけでなく、「『おいしさ』も食品において極めて重要な要素です」。そう語る熊澤義之教授は、味の素株式会社で、長年にわたり食品に関わる研究開発に従事してきた。
特に注力してきたのが、酵素を用いて食品機能を改質する研究である。酵素によってタンパク質同士を結合させて高分子化し、新たな物性を見出そうと試みてきた。数ある酵素やタンパク質の中から有用性を探索する中で、着目されたのが、トランスグルタミナーゼ(TG:Transglutaminase)という酵素である。
TGは、ポリペプチド鎖内のグルタミンのγカルボキシアミド基と一級アミンのアシル基の転移を触媒し、タンパク質とタンパク質を結合する(架橋する)活性を持つ。この反応によってタンパク質間はグルタミンとリシンの結合したイソペプチド結合(Glu-Lys)により架橋される。TGには、現在ではさまざまなファミリーが知られているが、研究チームがが取り組みを開始したのは、哺乳動物肝臓に存在するTGであった。
「身近なところでは、TG活性は血液凝固に関与する因子の中にも存在(Factor XⅢ)し、フィブリンというタンパク質を重合させて不溶化し、血餅を形成します。この酵素反応によって血が固まり、かさぶたができて傷が治るわけです」
研究チームは、このTGの特質を加工食品に応用できないかと考え、研究を進めた。モルモットの肝臓由来のTGを食品タンパク質と反応させると、タンパク質の架橋重合による高分子化が起こり、粘度が上がることやタンパク質濃度を高めると、加熱しなくても常温状態でゲル化することが見い出されていった。
微生物を探索し、TGを産生する放線菌を世界で初めて同定
TGのさまざまな有用性は明らかになったものの、食品用として製品化するには、まだいくつもの課題が残されていた。その一つが、供給源の確保である。製品化するには、大量生産を可能にするだけのTGを安定的に確保し続ける必要がある。モルモット肝臓由来酵素では、供給量に限界があることに加えて、消費者に受け入れられるのも難しいと考えられた。
そこで研究チームは、新たなTGの供給源を求め、微生物を探索した。土壌から5000株に及ぶ菌株を分離して丹念にスクリーニングを行い、世界で初めてTGを産生する微生物の取得に成功した。それが、放線菌の一種Streptomyces mobaraenseである。「この微生物由来のTGの分子量は、38kDaで、哺乳動物のおよそ半分ほど。特筆すべきは、カルシウムイオンの有無が、活性に影響を及ぼさないことです。哺乳動物のTGは、カルシウムがなければ活性化しませんが、新たに見出されたTGは、カルシウムに依存せずに活性が出ることがわかりました」。この点でも食品として活用する上で、微生物TGは極めて有用だといえる。
安定供給、安全性・受容性を確認
多様な加工食品に活用される
市場導入を目指す上で、次の課題は、「安全性」の確保だった。酵素そのものの安全性はもとより、酵素生産菌や反応生成物の安全性も各種試験で確認していった。それだけでなく消費者に受け入れてもらうためには、人のこれまでの食経験まで遡って普遍性があるか、十分な根拠を揃えておく必要があった。「幸運にもこの問い応え得る、先行研究を私たちは発見しました」と言う。
日本人になじみ深いかまぼこなどの水産練り製品を製造する際、魚肉に塩と混ぜてよく擦り合わせる工程がある。これによって魚肉がゲル化し、独特の弾力を生み出すことが、経験的に知られていた。「なぜ魚肉が非加熱でゲル化するのかは長年謎でしたが、先行研究により、これは、魚肉にもともとも存在しているTGが、製造工程中の『坐り』と呼ばれる段階で反応し、主要な筋肉タンパク質であるミオシン重鎖を架橋・高分子化するしていたことが報告されました。また、日本人になじみ深い塩干品にも同様なことが起こり、特有の食感に寄与していることが考えられました。これらのことより、TGが人の食生活に古くから関与してきたことが明らかになりました」
また熊澤教授らは、食品素材中のTGやGlu-Lysの分布を調べ、さまざまなところにこれらを見出した。「TGは食品として決して新奇なものではなく、例えば生ガキにも豊富に含まれており、人がこの活性を生で食べてきた経験があることもわかりました」。さらには、Glu-Lysを食べたとしても、Glu-Lysが体内で分解され、リジンとしての栄養価を損なわないことも確かめた。
こうしたさまざまな検証を経て、TGは製剤として発売された。現在では、水産練り製品や、ハム・ソーセージ、豆腐、製麺、ヨーグルトなど、数多くの加工食品に利用され、食感の改質に活かされている。食感の改質は、「おいしさ」の実現はもちろん、原料の低減も可能にすることで、食糧資源の有効活用にも貢献するという。
熊澤教授は現在、TG以外の有用な酵素を求めて新たな研究に取り組んでいる。注目しているものの一つが、ポリフェノールオキシターゼの一種であるラッカーゼやチロシナーゼだ。これらはペプチド鎖内のチロシンを酸化し、反応性の高いラジカルを生成して、他のアミノ酸と架橋を形成する。これらを活用してTGにはない物性を発見し、食品加工に新たな風を起こすことを目指していく。