名誉教授コラム

なぜ外国に行くのか:
かわいい子には旅をさせよ

山岸明彦
写真は留学したカリフォルニア大学バークレイ校M. カルビン研究所

 大学院生時代、英語の講演を聞く機会があったが、講演で何を話しているかほとんど分からなかった。スライドを読んで想像をふくらませるが、話が聞けているわけではなかった。

 日本で開かれた国際学会に参加することがあった。外国から来た講演者達が互いに話し合っているのをうらやましく見ていた。自分も英語で議論できる様になりたかった。

 今から約40年前、博士になってから2、3年後、カリフォルニア大学バークレイ校へ博士研究員(ポスドク)として留学した。外国へ行くのは初めて、国際線の飛行機に乗るのも初めて、外国の空港での入国審査も初めてであった。受け入れ先研究室の教授夫人が、空港出口で待っていてくれたのを見つけてほっとした。夫人は大学の留学生受け入れ宿舎まで私を車で連れて行ってくれた。

 一人で食事をするために近くの中華レストランに行くが、メニューをみても分からない。注文しすぎて食べきれず、ウェイターに嫌みを言われた(たぶん)。

 アパートを見つけて引っ越した。車の免許を持たないで渡米したので、食品の買い出しに車が使えない。買い込んだ品をアパートまで運ぶのにカートが必要に感じた。さて、どこでカートを売っているのだろう。おそらく雑貨屋だろうと思うのだが、雑貨屋が見当たらない。雑貨屋があるかどうかも分からないし、雑貨屋を英語でなんと呼ぶかも分からない。近くを歩いていた老婦人にカートはどこで売っているかと聞いたつもりなのだが、「カート」が通じ無い。「カート」の発音が悪いのかも知れないが、通じ無い。ひょっとするとアメリカでは「カート」とは呼ばないのかもしれない。結局、自分で雑貨屋らしき店を見つけて「カート」を買ったように思う。

 研究室での生活が始まった。受け入れ教授には大変お世話になった。休日には,近くの州立公園での鳥類観察や博物館につれていってもらった。研究室のメンバーと一緒にご自宅のパーティーに招かれたり、サンフランシスコ郊外の湖へのハイキング、大学近くの公園でのパーティーなど盛りだくさんであった。

 研究室のメンバーと少しずつなんとか話ができるようになってくると、アメリカの大学院生といっても様々な性格の学生がいることも解ってきた。他に何人かのポスドクもいた。そのなかの一人ニールは、私と同様、サンフランシスコの市内にアパート住まいで、ライドシェアしようと、その男が私を毎日車で送り迎えしてくれた。

 行き帰りの車の中でいろいろな話をするようになるが、時々通じ無い英単語がでてくる。シンデレラと言ったが、「何だそれは」といって、通じ無い。レとラがRなのかLなのか、シがshiなのか、siなのかsuiなのか、いろいろな組合せを試すが通じ無い。私が諦めて、「もう良い」といっても「おもしろいから、もっといろいろ言ってみろ」という。いろいろ試したところ、「そうか分かったぞ、スィンドェレラのことだな」という。「それ、言ったじゃないか」というと「違う、言ってない」という。結局何が問題かというと、子音でも母音でもなく、どうも音の強弱高低と区切りの様だ。まず「スィン」は低く弱く短く発音してそこで区切る。「ドェ」は低く弱く、続けて「レ」を強く高く、「ラ」は低く弱く発音するという事の様だった。

 テレビでも何を言っているのか分からない。マクドナルドのコマーシャルがあるが、どうも「マクドナルド」と言っている様には聞こえない。テレビのコマーシャルをまねしているうちに何とか同じ様に発音できる様になった。「マクドナルド」ではなく「マク(弱低)ド(強)ナド(弱低)」と言っている様であった。

 聞き取れても意味不明という場合も多かった。「Who’s gonna pay for this big mess」は極めてはっきりと分かり易く発音するので聞き取れる。しかし意味が分からない。これは保険会社の宣伝で、「だれがこのグジャグジャの賠償をするの?」という意味であった。

 大学の事務担当者が手続きの説明をしてくれた。その後で「Are you with me?」と質問されて「Yes, I am here」と答えたら,説明してくれていた女性は「エッ? 」という様な顔をした。この質問は、「今までの説明分かる?」という意味なのだと大分後でわかったが、この女性には私が分かっていなかったことが分かったとおもう。

 2年半のアメリカ滞在を経て、外国の研究者と話しをすることはできるようになったが、とても「不自由なく」というところまでは、到達できなかった。もっと早い時期から英会話を勉強して、もっと若いうちに外国留学できていたらよかった。

 何で外国へ行くと良いのか。多分、相手が言っていることが分からない、こちらの言っていることが伝わらない、社会の仕組みが違うという体験をするための様に思う。かわいい子には旅をさせよというのはこのことかもしれない。(私は当時すでにかわいくなかったが)。