名誉教授コラム

昔話はなぜ怖い

山岸明彦
画像:"Little Red Riding-Hood picture book (1865)" by Toronto Public Library Special Collections is licensed under CC BY-SA 2.0.

 グリム童話の「赤ずきんの物語」では、赤ずきんは森の中にすんでいるお婆さんに一人で会いに行く。それを知ったオオカミは、先回りをしてお婆さんの家に行き、お婆さんを食べてしまう。オオカミはお婆さんに変装して待ち伏せして、赤ずきんも食べてしまう。満腹して寝ているオオカミを偶然みつけた猟師は、オオカミの腹を割いて赤ずきんとお婆さんを助けだす。

 日本の伝承「かちかち山の狸」の話では、狸はお婆さんを殺して婆汁にしてしまう。お爺さんはお婆さんの仇討ちをウサギに頼む。ウサギは狸をだまして泥船に乗せる。泥船は沈んで狸は死んでしまう(http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=1997)。

 「赤ずきんの物語」も「かちかち山の狸」も、伝承の過程や近代の出版過程で改変されて様々な筋書きがあるが、昔話や童話にはかなり残酷な話がある。

 一方、同じ子供向きの話でも、「めでたしめでたし」という幸せな結末の物語も多い。例えば「シンデレラ」の話では、継母とその連れ子の姉たちにいじめられていたシンデレラは、最後に王子と結婚して幸せになる。

 昔話や童話ではなぜ死や結婚がしばしば取り上げられるのだろうか。死や結婚など、人生に関わる重要な出来事は感情を動かす。死や結婚に限らないが、人間は感情を動かされた出来事を記憶に残す仕組みをもっている。その結果、残酷な昔話や幸せな結末の童話など、教訓を含んだ話が子供達の記憶に残ることになる。

平凡な出来事は記憶に残らない

 今このコラムを読んでいるあなたは、一週間前の夕食で何を食べたかを覚えているだろうか?どこかで外食をしたとか、何かのお祝いをしたとかいう特別な日でも無い限り、誰でも一週間前の夕食で何を食べたかは覚えていない。誰でも日常的なことはすぐに忘れてしまう。

 それに対して、子供のころに褒められたこと、子供のころにいじめられたことなどは、いつまでたっても記憶に残る。喜びであれ、悲しみであれ、感情を動かされた出来事は記憶に残りやすい。

 ヒトに限らず動物には、情動によって記憶が促進される仕組みがある(記憶と情動の脳科学、J. L. マッガウ著、大石高生/久保田競 監訳、講談社)。動物には、長期記憶と呼ばれる長続きする記憶がある。長期記憶の形成は、快感や苦痛などの刺激によって促進される。これは、進化の過程で動物が身に付けた仕組みである(Tyng, C. M. et al. Front. Psychol., 2017, Vol. 8. Article 1454)。

 個人の生死や子孫の繁栄など人生にとって重要な事柄に関して、感情は大きく動く。動物は快感や苦痛を感じた出来事を、人間は喜びや悲しみを感じた出来事を記憶するように進化してきている。生存や子孫繁栄に関わる重要な記憶は、その後の行動判断に利用される。記憶した情報を利用して、より適切な判断を意識的・無意識的に行うことで、人間を含む動物の個体の生存と子孫繁栄の確率が上がることになる。

映画やアニメーション、漫画や小説でも

 映画やアニメーション、漫画や小説でも、喜びや悲しみなど感情を動かされる様々な物語が描かれる。映画やアニメーションの視聴者や、漫画や小説の読者は、その物語の登場人物に感情移入して、あるいは物語の傍観者として、その物語を疑似体験する。その疑似体験は、そこで受けた情動とともに記憶される。記憶された疑似体験は、その後の人生で意識的・無意識的に利用されることになる。

 一人の人間が人生で体験する出来事は限られている。しかし、人から聞いた話、様々な媒体から得られた疑似体験が、その後の人生での行動や判断に意識的・無意識的に利用される。子供達が聞かされる昔話や童話はこうした疑似体験となる。

 なんで昔話は怖いのか。それは、怖い話や楽しい話は、情動によって子供達に記憶され、記憶された話はその後の人生で役に立つからであろう。