不安とは、何だかわからないことを漠然と恐れることです。情報が十分に得られないとき,不安になります。情報が不足あるいは理解が十分でないとき,デマが流れたり風評被害が生じたりします。
最近、紅麹原料を用いた機能性表示食品による健康被害が、世間を賑わせています。知り合いの開業医に尋ねたところ、この製品を愛用している患者さんから相談があるそうです。健康被害を起こしたものとは別の製造ロットであっても、不安になる人は多いことでしょう。紅麹由来のものが多くの食品に使われていることで不安を感じた人も、少なくないようです。「あったらいいなをカタチにする」で日常生活に浸透している企業の製品だったことも、インパクトがあったと思います。
紅麹を用いた製品では、自主回収といった影響が出ています。また、紅麹とは別物にもかかわらず、麹を使った食品を扱うメーカーに問い合わせが相次いでいます。この原稿を書いている時点で、健康被害の原因物質は不明です。そのため確実なことは言えませんが、白として然るべきものまで灰色にしてしまうのは避けたいことです。
紅麹原料を用いた機能性表示食品による健康被害
今回の経緯を追ってみましょう。3月21日、当該企業から消費者庁に一報があり、翌日、プレスリリースと記者会見が行われました。その内容は次です。
(前略)機能性表示食品「紅麹コレステヘルプ」を摂取された方において、腎疾患等が発生したとの報告を受けました。これを受け、本製品及びそれに使用している紅麹原料(自社製造)の成分分析を行った結果、一部の紅麹原料に当社の意図しない成分が含まれている可能性が判明しました。(後略)
この意図しない成分がプベルル酸であることが、3月29日に厚生労働省から公表されました。プベルル酸は毒性の高い物質ですが、研究論文は少なく、腎臓への影響は明らかではありません。本来の生産菌とは別の菌が混入したことが考えられますが、製造工程のどの段階で混入したかは不明です。さらに複数の本来は含まれない化合物が検出されたことが、4月19日に発表されました。その化合物が何かは、この原稿を書いている時点で不明です。
日本腎臓学会の調査によると、腎臓障害、特にファンコニ症候群が多発しているとのことです。ファンコニ症候群では近位尿細管の機能が低下し、種々の栄養分の再吸収が障害されます。先天性と後天性があり、後天的には薬剤によって引き起こされることが知られています。
紅麹と麹は、生産菌が異なる
麹とは、米・麦・大豆などの穀物にコウジカビを繁殖させたものです。コウジカビは、デンプンやタンパク質などを分解する種々の酵素を産生・放出し、蒸米や蒸麦のデンプンやタンパク質を分解し、生成するグルコースやアミノ酸を栄養源として増殖します。マユハキタケ科アスペルギルス属に分類され、中でもニホンコウジカビ(Aspergillus oryzae)は有名です。塩麹は,この菌によって作られた米麹です。
ニホンコウジカビは、デンプンやタンパク質の分解能力に優れており、調味料や甘味料、醸造酒の製造に使われています。また、この菌が生成するデンプン分解酵素アミラーゼ(タカジアスターゼ)は高峰譲吉によって発見され、現在も健胃・消化薬として医薬品に配合されています。
紅麹は、モナスカス科モナスカス属のベニコウジカビで米などを発酵させたものです。古くから中国や台湾および沖縄において発酵食品に利用されており、例えば沖縄の伝統食品「豆腐よう」の製造に用いられます。
紅麹原料とベニコウジ色素の違い
3月29日、一般社団法人 日本食品添加物協会から“食品添加物「ベニコウジ色素」について”というメッセージが発信されました。問題となっている「紅麹原料」と食品添加物「ベニコウジ色素」とは異なるものであり、ベニコウジ色素による健康危害はこれまでに発生したことはないという内容です。
紅麹原料は、米にベニコウジカビを混ぜ、固体培養して発酵させた米麹です。健康効果のある成分が含まれるとされ、健康食品やサプリメントの食品素材として使用されます。
一方、ベニコウジ色素は、赤色着色料として漬物や醤油、豆腐、チーズ、ウナギの蒲焼きなどに利用されていますが、第10版食品添加物公定書(厚生労働省)で次のように定義されています。「本品は、ベニコウジカビ属糸状菌(Monascus pilosus及びMonascus purpureusに限る。)の培養液から得られた、アンカフラビン類及びモナスコルブリン類を主成分とするものである。デキストリン又は乳糖を含むことがある。」 今回の紅麹原料とは別の複数の企業が、ベニコウジカビを液体培養し、培養物から抽出、殺菌処理して生産しています。
機能性表示食品としての届出情報
紅麹コレステヘルプは、機能性表示食品です。保健機能を表示できる食品には、特定保健用食品(トクホ)もあります。トクホが消費者庁長官の許可を受けたものであるのに対し、機能性表示食品は事業者の責任で保健機能を表示します。
機能性表示食品は、保健機能の有効性の科学的根拠や安全性などの情報を、事業者が消費者庁へ「届出」することが定められています。機能性の評価は、最終製品を用いた臨床試験、あるいは最終製品又は機能性関与成分に関する文献調査によります。前者の場合は「〇〇の機能があります」、後者の場合は「〇〇の機能があると報告されています」と表示されます。コレステヘルプの表示は、次のように後者です。
「本品には米紅麹ポリケチドが含まれます。米紅麹ポリケチドにはLDL(悪玉)コレステロールを下げて、LDL(悪玉)コレステロール値とHDL(善玉)コレステロール値の比率(L/H比)を下げる機能があることが報告されています。LDL(悪玉)コレステロールが高めの方に適しています。」
機能性の科学的根拠が査読付き論文として公表されていないことは、届出情報で確認できます(参考1)。添付ファイルの「作用機序に関する説明資料」を見ると、米紅麹ポリケチドとしてモナコリンKの寄与が大きいことが推測されています。
モナコリンKは、一部のモナカス属の菌株が生産する血清コレステロール降下作用を示す物質ですが、アスペルギルス属の菌株から単離された同じ化合物が、医薬品ロバスタチン(HMG-CoA還元酵素阻害剤)として1987年に米国で承認されました。米国FDAは、ロバスタチンを含む紅麹由来の健康食品に関して度々注意喚起をしています(参考2,3)。紅麹製品に限らずサプリメントと医薬品の併用は、注意が必要な場合があります。
原因物質の特定が望まれる
今回の健康被害の原因物質は、特定されていません。腎細尿管上皮変性を起こすカビ毒として、シトリニンがあります。ペニシリウム属のカビによってつくられますが、モナカス属にもこの化合物を産生する菌株があることが知られています。ただし、紅麹原料に用いられるMonascus pilosus株は、シトリニン産生遺伝子をもたないことが確認されています(参考4)。
シトリニン、モナコリンK(ロバスタチン)、ベニコウジ色素のアンカフラビン類及びモナスコルブリン類は、いずれもポリケチドと総称される化合物群に分類されます。ポリケチドの生合成前駆体となる物質は、共通の生合成経路からつくられます。プベルル酸の生合成にもポリケチド合成酵素が関与します(参考5)。
ポリケチド類の生合成には多種類の酵素が関与していて、近縁の菌株であっても、酵素の違いによって産生する化合物に違いが生じます。突然変異で毒物をつくるようになった可能性を懸念する声もありますが、これまでの情報を見ると、別の菌の混入が有力です。製造工程における安全管理に問題があったのかもしれません。
いずれにせよ、消費者が安心するためには、原因物質を特定し、どうしてその物質が混入したかを明らかにして対策を講じることが必要です。
【参考資料】
1. 消費者庁、機能性表示食品の届出情報、届出番号G970、「様式Ⅰ:届出食品の科学的根拠等に関する基本情報」、「様式Ⅴ:機能性の科学的根拠」および「別紙様式Ⅶ-1:作用機序に関する説明資料」、https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42403261291101
2. 内閣府 食品安全委員会、食品安全情報システム、「米国食品医薬品庁(FDA)、ドイツの健康食品(サプリメント)メーカーに警告文書を発出」、https://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu02340260105
3. 国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所、「健康食品」の安全性・有効性情報、「米国FDAが医薬品(ロバスタチン)を含む製品に注意喚起」、https://hfnet.nibiohn.go.jp/alert-info/detail4720/
4. 小林製薬中央研究所、素材研究 紅麹③:安全性に関する研究:1. ゲノム解析によるカビ毒シトリニン生成不能の証明、https://research.kobayashi.co.jp/material/benikoji/benikoji_report03_1.html
5. Davison J. ら(2012)、Proc Natl Acad Sci U S A. 109, 7642-7647