CERT08有機化学

カルボアニオンで創り出す
に溶ける化合物

硫酸より強い酸性を示す炭素酸の開発

「新しいアイデアで、誰も起こせなかった化学反応や、これまでにない機能をもった化合物を作り出す」。その想いを胸に、有機化学の研究に取り組む矢内光准教授。含フッ素化合物の合成と機能評価において、多くの研究成果を挙げてきた。

矢内准教授の初期の研究に、新しい強酸性化合物の合成がある。「酸性化合物(酸)は、水に溶けると電離してH+を放出します。しかし、解離性水素を炭素原子に持つ炭素酸は、一般に電離しにくく、触媒として利用できるような強い酸性を示しません。ところが例外的にビス(トリフルオロメチルスルホニル)メタンやその誘導体は、硫酸に匹敵するほどの強酸性を示すことが知られていました」こうした炭素酸は、フッ素の大きな電気陰性度から強い酸性を示す。「フッ素には電気陰性度が大きく、原子半径が小さいという性質があります。炭素との結合は極めて強く、一般に有機フッ素化合物は高い安定性を示します。私たちの炭素酸は、4本の結合手を持つ炭素原子を中心としており、高い酸性度を確保するために必要な含フッ素置換基と共に、分子に機能を与える第三の置換基を置くことができます。そのため、さまざまな強酸性化合物を作り出すことができるのです」と続けた。

大きな可能性を秘めながらも、「良い合成法がなかったから」長く忘れられていた炭素酸。矢内准教授の研究グループは、新しい合成法の開発に挑み、求電子アルケンの発生を介した汎用性の高い炭素酸合成法の開発に成功した。特に、研究室で2-フルオロピリジニウム塩と呼ばれている新しい試薬は、取り扱い容易ながら、高い反応性を示し、合成や精製の難しい炭素酸やカルボアニオン(C-)を部分構造としてもつ化合物の合成を容易にした。今日では、「Yanai's reagent」とも呼ばれている、この試薬。研究室の枠を超えて、多くの研究者が新しい利用法を探っている。

フッ素とカルボアニオンで脂溶性と水溶性を両立

現在、矢内准教授らの注力するテーマの一つが、カルボアニオンによる化合物の物性制御。カルボアニオンは高い反応性をもつ、非常に不安定な化学種であるというのが有機化学の常識だという。手に取ることができるようなカルボアニオンを含む塩は、ほとんど知られていない。矢内准教授は、「私たちが合成した炭素酸は強い酸ですから、容易にH+を放出します。その時、同時に安定なカルボアニオンを与えます。フッ素置換基が効果的にカルボアニオンを安定化するのです」と言う。こうした“異常な”カルボアニオンによる化合物の物性改善に取り組んでいる。

矢内准教授は、「フッ素を分子構造に組み込むと、分子の親油性が向上し、生体に取り込まれやすくなります。医薬品開発でフッ素が盛んに利用される一つの理由です。ただ、経口投与可能な医薬の開発では、水溶性も重要な物性です。有機化合物は油の一種ですから、基本的には水に溶けません。そこで、イオン構造を導入することで、水溶性改善を図るのですが、水溶性を上げると親油性が低下してしまう。両立が難しい。フッ素とイオンという両方の特徴をもつ私たちのカルボアニオンなら、親油性を保ったまま、水溶性を高めることができるのではないかと考えました」と研究のコンセプトを説明する。その一環として、細胞の可視化に不可欠な蛍光色素のカルボアニオン修飾に取り組んだ。ボロン-ジピロメテン(BODIPY)と呼ばれる蛍光分子は非常に強い蛍光を発するが、水には全く溶けないため、生体系や細胞への応用が遅々として進んでいない。また、既存の水溶性誘導体も親油性が低く、細胞の蛍光染色には利用できないという。「イオン構造によって水溶化された有機色素は、親油性が大きく損なわれているので、細胞膜を越えることができません。私たちのカルボアニオン性置換基の出番です。カルボアニオンによる水溶性改善と共に、フッ素置換基による親油性の維持・向上も期待できるからです」

カルボアニオン修飾BODIPYは水に溶ける(右)が、そこに油を加えると油相に移行する(左)

矢内准教授らは、市販のBODIPY 493/503に2-フルオロピリジニウム塩を作用させ、引き続く中和反応を経てカルボアニオン修飾BODIPYを合成した。「カルボアニオンで修飾しても色素の基本的な光物性は変化しませんでした。一方で、水への溶解度は親化合物であるBODIPY 493/503に比べて1万倍以上も改善していました。また、親油性も高まっていました」

生細胞を使った実験では、BODIPY 493/503に比べて、カルボアニオン修飾BODIPYがより速やかに細胞に取り込まれることが示されている。また、カルボアニオン修飾BODIPYの高い水溶性は、実験プロトコールの簡便化をもたらし、多検体を用いた実験でも有利だという。矢内准教授らは、これ以外にも様々なカルボアニオン修飾化合物を合成し、それらを用いた多くの研究プロジェクトを進めている。

BODIPYのカルボアニオン修飾

人間のもつクリエイティビティ(創造性)を
駆使し、イノベーティブな化合物を世に問う

最後に矢内准教授は、「クリエイティビティ」が、科学者、ことさら有機化学者にとっては最も大切な力だと強調した。「それまで積み重ねてきた研究成果と知識の蓄積をバッググラウンドに、人間がもつ想像力を総動員し、真に新しい、イノベーティブな化合物を創り上げる。まだ世にない新物質を作り出すことのできる有機化学者は、いわば分子のアーティストだと思っています」。研究室では、新物質の創成に向かう知的挑戦が続いている。

投稿日:2023年10月19日
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