名誉教授コラム

大学院のすすめ:課題に関するすべてを知り、未知の課題に取り組む

山岸明彦

大学卒業後、大学院に進むことには、どの様な意義があるだろう。大学院では大学とは質の異なる高度な知識や、未知の課題の解決手法が獲得できる。

大学院は、2年間の修士課程とその後3年間の博士課程の二つの課程からなる。大学院生はこの5年間で論文をまとめ、審査に合格すると博士号が授与される。

大学院とは極めて狭い知識の専門家を育てる機関である、という一般の理解がある。実際、大学院で大学院生が取り組む研究は極めて狭い範囲で行われる。しかし、この点に大学院に対する重大な誤解がある。

もちろん研究者がある程度の広い知識と科学全般にわたる基礎的知識をもっていることは不可欠である。しかし、それは大学院の本務ではなく、大学で学んだ学生が大学卒業までに獲得しているべき目標である。それでは、大学院は大学とどこが違うのか。

 

高度な知識の獲得方法を学ぶ

大学院が大学と異なる点の第一は知識の広さでは無く、その質である。大学院では講義も行なわれるが、大学院生は自分が研究対象として選択したテーマに関して、自分で論文を読んで理解することが求められる。論文というのは、どこかの国の研究者が、実験を行ってその実験結果を発表したものである。(実験科学以外では実験を行わない場合もあるが、ここではふれない。)

大学院生は、自分が選択したテーマに関してすべてを知っていることを要求される。もっとも、あるテーマに関してすべての論文を読むというのは不可能であるし、その必要もない。大学院生は20くらいの論文を読むことから始めて、博士課程終了までに一つのテーマに対して、おそらく100から200の論文を読むことになる。個々の論文にはその論文発表以前の研究のまとめも書いてあるので、100から200程度の論文を読むと「そうか、このテーマに関してこんなことがわかっているのだな」と、今わかっていることをすべて理解することができる。

世界中の研究者が知っている事すべてを知っていると、何かの質問をされた場合に、次の様に答えることができる。例えば、「それに関しては誰々が何年に、こういう実験をしました。その結果こういう結果が得られたので、こういう可能性が高いとおもいます」、という様な答えである。まだわかっていない事柄の場合、大学院生は「それはまだわかっていません」と答える。現在わかっている事すべてを知っているという状態は、単に講義で知識を得た時と比べて、知識の質が全く異なる。

 

答えの無い課題に取り組む

大学院生は、同時にまだ世界中の誰も知らない課題に取り組むことになる。つまり大学院生は、答えが何であるのか、そもそも答えに到達できるかどうかさえわからない課題に取り組む。それが研究である。大学院生は大学院で研究を行うことになる。

まだ分かっていない事を知るために、大学院生は実験をおこなう。実験結果を見て、その結果がどの様な事を意味しているのかという可能性をいくつか考える。次に、その可能性を確かめる為の実験を行う。その可能性が正しいこともあれば、間違っていることもある。間違っている場合には、また他の可能性を考えて、その可能性を確かめる実験を行う。これを繰り返すことによって、何らかの結論に到達する。こうして、何らかの結論に達すると、実験方法、実験結果、そこから推論される事を論文にまとめ、学術雑誌に発表する。

このようにして大学院生は未知の課題を解決する方法を、自分の研究を通して学ぶことになる。何度も未知の課題の解決を経験する以外には、課題解決の力を自分のものとして獲得する方法はない。その未知の課題解決の経験をつむのが大学院である。大学院を修了して博士号を取得した博士課程修了者は、未知の課題を解決しつづける力を獲得することになる。

 

極めて狭い分野の専門家という理解と誤解

さて、あるテーマに関していま世界でわかっていることをすべて知っていると言っても、もちろん広い科学分野全般を知ることはできない。博士課程終了までに読む、一つのテーマに関して100から200の論文は、世界で出版される毎年百数十万という科学研究論文の総数に比べればほんの一部にすぎない。これをもって世間では、博士号取得者というのは極めて狭い分野の知識しか持たない人である、という様に見られる場合もある。この博士号取得者に対する理解の仕方には、大学院教育の目的を知識の広さで捉えるという根本的な誤解がある。

大学院生が獲得すべき力を、知識の広さで測ることは適切ではない。博士号取得者に求められる力の一番目は、何かの課題があった時にその課題に関して世界で分かっている事をすべて理解できるという力である。博士号取得者に求められる力の二つ目は、まだだれも答えを得ていない課題に関して、それに立ち向かって解決する力である。これらは、知識の広さで測ることのできない力である。

 

様々な仕事に適用可能な力

この二つの力をもっていれば、別の課題に取り組む場合にも、高度な知識を得て未知の課題に取り組むことが可能である。これらの力は、大学院課程で取り組んだ研究テーマに限らず、他の様々なテーマに適用可能である。実際、大学院卒業生は卒業後に、しばしば大学院で取り組んだテーマとは異なったテーマに取り組むことになる。例えば大学院修了後に研究者となった場合、大学院卒業生はテーマを変えながら様々な課題に取り組んでいくことになる。

さらに、わかっている事をすべて知って、答えのわからない課題に取り組むという作業は、研究に限らず様々な仕事に共通している。この博士号取得者の力は、研究に限らず様々な活動に適用可能である。たとえば、米国の革新的なベンチャー企業を政府が支援するSBIR制度で、対象企業の代表者の74%が博士号を持っている(日本経済新聞2022年5月2日朝刊)。このことは、ベンチャー企業の代表者にとって博士号取得課程で獲得した力が少なからず役に立っていることを示唆している。

なぜなんのために大学院にいくのか。大学院で、世界で知られていることすべてを知る力と、まだわかっていない課題に取り組む力を獲得できるからである。

 

(2/12 本連載は12回連続となります。)