子供の頃、イヌが怖くて、偉そうに闊歩している野良犬に出くわすと身が縮みました。今は野良犬もいないし、見かけるイヌも随分と姿が変わりました。ずっと小型で、丸顔で鼻が突き出ていないものが多くなりました。イヌの祖先はオオカミと考えられていますが、トイプードルからオオカミは連想できません。
家畜化された動物は限られる
最初に家畜化された動物はイヌだと言われており、およそ1万5千年前と推定されています。イヌはオオカミから進化したと考えられていますが、一般にオオカミは、人との接触を嫌い攻撃性があります。そのような動物がどのようにして人間の友人となったかには、興味がそそられます。
一説では、次のようなストーリーが推測されます。オオカミにもおとなしくて、厳しい自然界で生き残ることがむずかしいものがいた。人を怖がらないものは、人に近づいて食べ物のおこぼれにあずかることができた。おとなしいオオカミにとって、人になじむことが、生存して子を残す道となった。
人類は、労働力や食糧として利用するために、いろいろな動物の家畜化を試みてきました。しかし、約6千種の哺乳類のうち家畜化されたものは、わずか数十種です。多くの動物で、家畜化は失敗しました。家畜化されない理由として、ジャレド・ダイアモンドは次の六つを挙げています(文献1)。餌や成長速度、飼育下での繁殖、気性に関する問題、パニックになりやすい性格や序列性のある集団を形成しないこと。
動物が家畜化されるためには、まずは気性と性格に関すること、人への従順性が必要と考えられます。人に対して恐怖心や攻撃性を示す動物は、家畜として飼育することは困難です。ある種の野生動物は、訓練して人に慣れさすことができます。しかし、家畜化にはそれだけでなく、従順さが子孫に受け継がれることが必要です。つまり、遺伝子の変化が必要と考えられます。
キツネを“イヌ”にする実験
ロシアの遺伝学者ドミトリ・べリャーエフ(1917–1985年)は、キツネを飼い慣らすことで、家畜化に関する問題にアプローチしました。実験は、リュドミラ・トルート(1933年–)とともに1950年代に開始されました(文献2)。興味深い実験なので、紹介します。
キツネは、遺伝的にオオカミに近い動物です。ロシアでは、毛皮を生産するためにギンギツネ(アカギツネの黒色化型)が飼育されています。しかし、家畜化はされていませんでした。キツネは年に一回の繁殖期があるだけです。野生の動物は繁殖期が限られていますが、家畜化すれば頻繁な繁殖が期待でき、毛皮生産における実利につながります。
キツネがオオカミやイヌと近縁であっても、それは家畜化が成功する拠り所にはなりません。ウマと近縁のシマウマは、家畜化できませんでした。またシカ類で家畜化に成功したのは、トナカイだけです。
飼育場にいるキツネの大部分は、きわめて攻撃的でした。世話係に対して激しくうなり、鋭い牙をむきだして飛びかかります。しかし、なかには比較的おとなしいものもいます。ベリャーエフらは、人を恐れず攻撃的でない個体を群から選んで交配を繰り返しました。
やがて、従順さを増した子ギツネが生まれるようになりました。そして、甘え鳴きをしたり、手をなめてきたり、仰向けになって腹を撫でさせたり、さらには、尻尾を振って子イヌのように振る舞う子ギツネも現れました。こうした行動を、幼体だけでなく成体になっても見せるようになりました。
従順化とともに現れたキツネの変化
従順な子ギツネには、身体的な変化も見られるようになりました。成長しても耳が立たず、垂れ耳のままのものが現れました。これはイヌでも見られます。ある子ギツネでは、体にまだら模様が現れました。これも、イヌやウシなど家畜化された動物に共通する特徴です。
そして、イヌと同じように、家で人と共同生活できるものも現れました。
従順なキツネは、対照群のキツネと比べて、ストレスホルモン(コルチゾール)のレベルが低下していました。脳内のセロトニンは気分の向上や不安の軽減につながることが知られていますが、従順なキツネではセロトニンの血中濃度が高くなっていました。
子ギツネに現れる性格的な特徴は、遺伝によるものでしょうか? それとも育てる母親の影響でしょうか? 従順化したキツネと対照群のキツネとで、受胎後1週間くらいの胚を手術で入れ替える実験が行われました。交叉哺育の結果、子ギツネの性質は、育ての親ではなく遺伝学的な親の性質を受け継いでいました。
キツネの遺伝子解析
さらに世代を重ねると、尾の形や鳴き声にも違いが見られるようになりました。骨格にも変化が見られました。従順なキツネは、対照群よりも頭蓋骨が小さく、鼻面が短くて丸く、成体になっても子ギツネの特徴を残しています。これはオオカミとイヌの相違と似ています。成体イヌもオオカミにくらべて頭蓋骨が小さく、鼻面が短くて丸くなっています。
イヌには、長くて細い脚と長い鼻面をもった品種や、短くて幅の広い脚と短く幅広くて丸い鼻面をもった品種があります。遺伝子を分析したところ、イヌの骨の長さと幅の関係は、頭蓋骨の成長に影響を及ぼす少数の遺伝子によって制御されていることが示されました。
従順化したキツネの遺伝子にも、対照群との比較から変化が見つかりました。従順化したキツネのゲノムの変化は、イヌとかなり類似していました。また、イヌ、ブタ、ウサギの遺伝子を、オオカミ、イノシシ、野生のウサギとそれぞれ比較すると、これらの三種で、脳の形成に関連する遺伝子の変化が共通していました(文献3)。
家畜化は“幼体化”を引き起こす?
従順なキツネは、身体や顔の特徴が変化しました。成体も幼体の特徴を残しているように見えます。リュドミラらは、次のように考察しました。
野生のキツネは成長して乳離れすると、身体や顔は生存の可能性が最も高い形に変化する。長く細い脚は、獲物を追いかけたり捕食者から逃げたりするときにスピードが出る。長く尖った鼻面は、獲物を探すときにさまざまな場所に突っ込みやすい利点がある。野生ではこうした成体の骨格が自然選択されるけれども、飼育場ではその選択圧がなくなる。その結果、従順なキツネは、成体になっても未成熟な身体の特徴を残すようになる。
従順化したキツネで頭蓋骨の大きさに変化が見られましたが、これは、生きる上での脳の使い方が、家畜と野生動物とで異なることを反映しているのかもしれません。頭蓋骨は小さくなっても、従順化したキツネは、イヌにも優るような高い知能を示すそうです。
キツネの実験から思うこと
人類は文明を発展させてきましたが、それに伴って必要とされる能力は異なってきます。このことは人類の遺伝子や形質にどのような変化をもたらすのでしょう?
また、動物は、過酷かつ変化する環境のなかで、自然選択によって脳を発達させてきました。一方、今時の愛らしいワンちゃんたちは、人為的な選択で現れたものです。人から可愛がられる限り、彼らに野生で生きる力は必要でありません。犬種によっては、もはや人の手を離れて生きていくことは困難のように思われます。彼らは人類と運命を共にしていると言えるでしょう。ペットや家畜だけでなく、人の営みは多くの生物に影響しています。私たちはその責任を負っています。
参考文献
1. ジャレド・ダイアモンド、銃・病原菌・鉄、草思社、2000年
2. リー・アラン・ダガトキン、リュドミラ・トルート、キツネを飼い慣らす-知られざる生物学者と驚くべき家畜化実験の物語、青土社、2023年
3. Albert F.W.ら, PLoS Genetics 8, e1002962, 2012