創薬基盤技術

脳梗塞による
神経細胞死を食い止める

脳梗塞後の神経細胞障害を防ぐ可能性をサリドマイドに発見

脳梗塞による脳神経細胞の損傷は、死に直結する重大な機能障害を引き起こす。たとえ一命をとりとめても寝たきりや半身まひ、言語障害、血管性認知症など深刻な後遺症を残すことが少なくない。しかしいまだ脳梗塞に対する効果的な治療薬はほとんどないのが現状だ。高木 教夫教授は、動物病態モデルや培養細胞を用いて脳梗塞が起きた時の脳内を観察し、病気のメカニズムを解明するとともに、神経細胞死を食い止める遺伝子やタンパク質を探索している。最近の共同研究で、既存薬のサリドマイドから脳梗塞後の神経細胞障害を防ぐ可能性を発見し、大きな反響を呼んだ。

高木教授によると、サリドマイドはかつて販売が中止された薬剤だが、近年、多発性骨髄腫などの治療薬として脚光を浴び、条件付きで使用が再承認されるようになっている。「脳虚血モデルを使った実験で、サリドマイドには神経細胞を保護する可能性が報告されています」と着目した理由を語った高木教授。しかしこれだけではサリドマイドが脳梗塞の薬として有効であるとみなすことはできない。薬としての可能性を探るべく、高木教授らは神経細胞保護の詳細な分子メカニズムの解明を試みた。

サリドマイドによる神経細胞保護の分子メカニズムを解明

最初に高木教授は、脳梗塞モデルラットを使って脳虚血にサリドマイドが有効であるかを検証した。「ラットの中大脳動脈を閉塞して脳梗塞モデルを作製し、その腹腔内にサリドマイドを投与したところ、梗塞領域が減少し、神経欠損症状も軽減されることを確かめました」とその有効性を実証した。

次いで神経細胞保護の分子メカニズムを解明するにあたって高木教授らが注目したのが、サリドマイドの結合タンパクであるセレブロンと、セレブロンに直接結合するタンパク質のAMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)である。セレブロンは精神遅滞原因遺伝子産物でもあり、抗酸化ストレス機能や細胞保護機能を持つことが明らかにされている。一方のAMPKは、細胞内のエネルギー源であるATPを維持するためのエネルギーセンサーとして働いている。脳虚血状態ではAMPKのリン酸化(活性化)が促進されるという報告があり、以前からAMPKの脱リン酸化(活性抑制)が脳神経の保護に関与していると考えられていたという。

まず高木教授は、AMPKの他、ERK1/2、AKTといった神経保護シグナルに対するサリドマイド投与の影響を調べ、AMPKの活性だけがサリドマイドによって抑制されることを観察。AMPKが神経細胞保護に働く細胞内シグナルの役割を果たしているとの示唆を得た。さらに、サリドマイドによって脳虚血モデル細胞に神経保護作用が起こる際のAMPKとセレブロンの相互作用を検証した。「その結果、サリドマイドの投与によってAMPKとセレブロンが結合し、AMPKのリン酸化が抑制されることが示唆されました」と高木教授。以上を総合すると、サリドマイドがセレブロンを介してエネルギーセンサーであるAMPKの活性を調節し、神経細胞死を抑制している可能性が見えてくる。こうしてサリドマイドの脳梗塞に対する薬効メカニズムの一つが解明された。

既存薬のメリットは、安全性や体内動態が確認されているため、薬効を特定できれば新薬開発のスピードを飛躍的に高められることにある。高木教授らは、他の適応症に対する既存薬でも新たなメカニズムを有する脳梗塞治療薬としての可能性を明らかにしている。今回の研究成果も近い将来、脳梗塞の新薬創製につながるかもしれない。

脳内の幹細胞が神経障害を軽減する可能性を追求

高木教授は、脳の神経幹細胞の可能性も追求している。「最近、成人の脳にも自己増殖能と多分化能を持つ幹細胞が存在することが証明されました。これは成人の脳でも神経細胞が生まれ変わる、つまり損傷した脳を修復できるかもしれないということを意味します」と説明する。教授は、神経幹細胞の働きで脳梗塞による障害を本当に回復させられるか、モデル動物を使って検証を行った。

「緑色蛍光タンパク(GFP)が導入された神経前駆細胞を作って、多発梗塞を模倣した脳塞栓モデルラットに注入し、神経前駆細胞の動態を追跡しました。すると神経前駆細胞は障害領域へ遊走し、そこで未分化な状態のまま留まるか、神経細胞やグリア細胞の一つであるアストロサイトに分化することを確かめました」と言う。さらに驚くべきことに、脳塞栓後の組織の脱落は顕著に改善されないものの、空間記憶学習障害やうつ様症状が改善することが確認されたという。脳梗塞後の組織障害を完全に修復せずとも、脳機能障害が軽減される可能性が示されたのだ。

その要因を探るべく、高木教授は、神経細胞の成長を調整する脳由来神経栄養因子(BDNF)に着目した。BDNFは中枢神経系に豊富に存在し、空間記憶学習能を発揮する上で重要な役割を担っていると考えられている。そのBDNF量が脳梗塞によって顕著に減少し、神経前駆細胞を注入するとその減少が抑制されることを動物実験によって確かめた。「組織学的な観察によると、BDNFが神経前駆細胞内やその近傍に局在していることも確認しました。これらの結果は、移植された神経前駆細胞が局所でBDNFの合成・放出を行い、周囲の細胞になんらかの影響を及ぼし障害改善に寄与していることを示唆しています」と障害改善メカニズムの一端を明らかにした。現在、脳梗塞後の神経新生の意義と詳細な分子メカニズムの解明を試みている。

その他、糖尿病を合併した脳梗塞病態の研究も進行中だ。「遺伝子改変マウスを使って臨床上多く観察される糖尿病合併症脳梗塞の病態を明らかにし、その進行抑制や再発防止につなげたい」と高木教授。脳梗塞の後遺症で苦しむ人が、社会復帰できる未来を目指し、研究を続けていく。