衛生化学・環境

酸素ストレスと
自然免疫の
関わりを究明する

活性酸素が自然免疫を活性化する?

身体の老化や生活習慣病につながる「悪者」として、しばしば「活性酸素」がやり玉に挙げられる。酸素は、人が生きる上で不可欠だが、ひとたび有害な活性酸素になると、DNAやタンパク質を障がいし、組織の老化を進行させたり、がんなどの慢性疾患の発症・増悪の要因になるといわれている。「それを防ぐために活性酸素を消去する作用(アンチオキシダント)を謳った健康食品が数多く市販されていますが、中には科学的根拠が不十分であるものも少なくありません」と懸念するのは早川磨紀男教授だ。早川教授は、身体にさまざまな影響を及ぼす「酸素ストレス」に着目した研究を行っている。

中でも焦点を当てるのが、NF-κBというタンパク質だ。「NF-κBは、免疫反応において『司令塔』の役割を果たす転写因子です。病原体や炎症性サイトカイン、種々のストレスによって活性化されると、標的遺伝子の発現を誘導して免疫系細胞を活性化することで生体防御の働きを司ります。長い間、このNF-κBの活性化には『活性酸素が必要である』という説が広く信じられてきました」と語る。その仮説を覆す成果を発表し、大きなインパクトを与えたのが早川教授だ。

NF-κBの活性化にアンチオキシダントは関係ない

早川教授は、かつてアメリカでNF-κBの活性化に関わるIκBキナーゼを同定するプロジェクトに参加し、巨大な分子複合体IKKの同定に成功した経験がある。「NF-κBは通常阻害タンパク質のIκBと結合して存在しています。TNFやIL-1などの刺激を受けると、IKKによってIκBがリン酸化されます。ここでユビキチンリガーゼが働いてIκBにユビキチンが修飾されると、タンパク質分解酵素のプロテアソームに認識されてIκBが分解され、NF-κBが活性化するという経路を辿ります。この間、わずか数分です。このシグナル伝達経路のどこに活性酸素の関与する余地があるのか、疑問に思いました」と言う。

「活性酸素必要説」の根拠とされたのが、「N-アセチルシステイン(NAC)とピロリジンジチオカルパメート(PDTC)という2つの化合物がアンチオキシダントとしてNF-κBの活性化を抑制する」という先行研究だった。そこで早川教授らは、この検証を試みた。

「まずNACを暴露した細胞を使った実験で、TNFで刺激すると、確かにIκBの分解が阻止されました。ところがIL-1で刺激した場合は分解を止めることはできませんでした。調べてみると、NACはTNF受容体との親和性を低下させることで、TNF受容体からの情報伝達を選択的に阻害していることがわかりました」

また試験管を使った実験で、PDTCはユビキチンリガーゼを直接阻害していることも突き止めた。つまりNAC、PDTCは、いずれも活性酸素が関与するアンチオキシダント作用とはまったく無関係のメカニズムでNF-κBの活性化を阻害していたわけだ。早川教授はこの解明により、「NF-κB活性化に活性酸素は必要ない」ことを証明した。

新たに見えてきた細胞膜の組成とTLR活性の関与

過酸化水素刺激したA431細胞

活性酸素がNF-κB活性化に不可欠ではないものの、「酸素ストレスによってNF-κBの活性化が観察される場合もあります」と続けた早川教授。活性酸素の一種である過酸化水素(H2O2)を細胞に暴露すると、NF-κBが活性化することがある。しかし、「H2O2を暴露した時にNF-κBが活性化されやすい細胞と、活性化されにくい細胞があることに疑問を抱きました」と早川教授は言う。

密集培養した細胞の一部分をかき取った後、H2O2を与えると、細胞遊走によって細胞膜の流動性が高まる。実験の結果、この部分でだけNF-κBの活性化が観察されることを明らかにした。

さらなる研究で最近わかってきたのが、抗体やT細胞などによって担われる獲得免疫より、進化の途上では古くから存在すると考えられる自然免疫と呼ばれる仕組みで中心的役割を果たす受容体「Toll-like receptor (TLR) family」との関わりだ。TLRファミリーは細胞膜上にあって、細菌やウイルスなどの病原体に固有の成分を認識し、防御する働きを持っている。早川教授らは、その中でも重要な役割を担っている受容体としてTLR2とTLR4を見出した。「酸化ストレスに曝された時、TLRファミリー分子が会合しやすい状態になった細胞だけがTLR2とTLR4を活性化し、NF-κBの活性化を誘発しているのではないかと考えています」

なぜ、細胞遊走が亢進した細胞だけがH2O2に応答し、TLR2とTLR4が活性化するのか。その理由はまだ解明されていない。しかし早川教授は、興味深い現象を見出している。細胞培養時に飽和脂肪酸のパルミチン酸を添加しておくと、TLR2/TLR4を介したNF-κB活性化経路が抑制され、反対に不飽和脂肪酸の一種であるオレイン酸を添加すると、活性化が増強されるというのだ。パルミチン酸などの飽和脂肪酸は肉などに、また一価不飽和脂肪酸のオレイン酸はオリーブ油などに多く含まれている。「細胞膜のリン脂質に取り込まれた時、飽和脂肪酸は細胞膜を固くし、不飽和脂肪酸は細胞膜を柔らかくする。それによって、TLR2/TLR4を取り巻く環境が大きく変化するのではないか?」、「細胞遊走が亢進した細胞では細胞膜の流動性が高くなっているのではないか」といった可能性が考えられる。「一般にオレイン酸=体に良い油、飽和脂肪酸=体に悪い油というイメージがあります。一方で、一般に、『酸素ストレスは体に悪い』と受け止められています。酸素ストレスによるNF-κB活性化をオレイン酸が増強、パルミチン酸が抑制するということが、生理的にどういう意味を持つのか、既成の考え方を捨てて考え直すことが必要です」

「薬によって疾病を治療するだけが薬学ではありません。衛生薬学は、『生(いのち)』を『衛る(まもる)』と表すように、健康を損なう環境要因や生活習慣要因を遠ざけることで、疾病の予防や健康増進を図る学問です。『くすりを使わずに生命を守る』。極めて意義のある仕事だと思っています」と、研究に懸ける理由を語った。