衛生化学・環境

原因探索と
予防法・治療法の確立を見すえ
自閉スペクトラム障害に挑む

自閉スペクトラム障害の原因となる環境因子とは

自閉スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)は、対人関係・社会的コミュニケーションの困難、興味の限局や常同行動といった強いこだわり、感覚過敏・鈍麻などの症状によって特徴づけられる神経発達症である。近年の研究では68人に1人がASDと診断されたという報告もあり、社会的な認知は高まっているものの、その発症メカニズムはいまだほとんど解明されていない。

「ASDが遺伝子疾患であることは確かですが、ほぼ同一の遺伝子を持つ一卵性双生児でもその発症一致率は、7割弱に留まっています(完全に遺伝病である場合、発症一致率は10割となる)。すなわち『遺伝子だけが発症を決めているのではなく、遺伝子はある環境因子に対する脆弱性を決定している』という可能性に我々は注目しています」。そう語る篠田 陽准教授は、ASDの発症に関与する環境因子に着目し、その探索に取り組んでいる。

ASD発症の原因となる環境因子といわれているものは、重金属や農薬、殺虫剤、抗生物質などの化学物質、抗てんかん薬などの薬剤、母体のストレス、さらには気圧や天候まで多岐にわたる。あまりに多いため、その特定はほとんど進んでいない。候補因子の多さに加え、探索を難しくしている理由は、ASD傾向のない実験動物を使った検証では効果が見えにくいことも挙げられる。「そこで我々は、『ASDを発症しやすいマウス』を用いることで、環境因子の効果を『見える化』しようと試みています」と篠田准教授は言う。

篠田准教授の研究グループでは、ASDを発症しやすい遺伝子変異マウスであるCaps2欠損(KO)マウスとShank3 KOマウスというASDモデルマウスを用いている。Caps2遺伝子がコードするCAPS2は、プレシナプスに存在し、有芯小胞の分泌を司るタンパク質で、Shank3遺伝子がコードするSHANK3はポストシナプスに存在し、様々な受容体と細胞骨格をつなぎとめるタンパク質だ。共にヒトにおいてASD関連遺伝子として同定されており、この遺伝子を欠損すると、マウスもASDのような症状を示すことが知られている。篠田准教授らは、このCaps2 KOマウス、Shank3 KOマウスを用いてASD発症に寄与する環境因子を同定しようとしている。「Caps2(またはShank3)のヘテロマウス同士を交配させると、その子どもとしてASDを発症しやすい遺伝子欠損(ホモKO)マウスを作製できます。妊娠中のヘテロマウスにさまざまな環境因子を曝露し、その子どものKOマウスまたはヘテロマウスのASD傾向の強弱を測定することで、環境因子の効果を検討します」

ASD様行動の評価は、行動テストバッテリーと呼ばれる、社会性行動や社会性認知行動、不安行動、好奇心、反復行動などを含むさまざまな行動評価法を取り入れる。篠田准教授らは、様々な環境因子に曝露したASDモデルマウスの多様な行動様式からそのASD様症状を総合的に判断し、ASD発症の原因となりうる環境因子の解明に取り組む。

[図1] マウスの行動解析によりASD様行動を評価する

炎症性サイトカインの上昇を抑え
ASD発症を予防する食品を探索

ASDの原因となる環境因子を探ると同時に、発症を防ぐための予防因子の探索にも取り組んでいる。「ASD発症への関与が有力と考えられている環境因子の一つに、妊娠期の感染があります」と篠田准教授。母体が感染すると、免疫機能として母体血中の炎症性サイトカインが上昇する。この炎症性サイトカインが子のASD発症リスクを高めることが、ヒトにおけるコホート研究および動物実験でわかっているという。そこで「母体感染の際の炎症性サイトカインの過度な上昇を抑制することができれば、子どものASD発症リスクを下げられるのではないか」という仮説を立て、妊娠期に摂取することが容易な身近な食品の中から、感染時の炎症性サイトカイン上昇を抑える食材を探索している。

先行研究から、母体免疫活性抑制効果を示す可能性があると報告されている食品として32種類を抽出。これらの抗炎症物質を摂取させたマウスとその胎児について免疫応答の抑制、自閉傾向の有無を調べ、ASD予防に寄与する食品の同定を進めている。

ASD者を苦しめる感覚過敏・鈍麻の謎解明に挑む

さらに、ASDの中核症状の一つである感覚過敏・鈍麻に照準を絞り、これまでほとんど研究されてこなかった神経基盤の解明にも挑んでいる。「ASD者のおよそ90%で、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚などに対し、過敏または鈍麻の症状が現れます。定型発達の人がほとんど注意を向けないような音や光、味、匂い、肌触りが耐えられないほど気になってしまい、それが日常生活を送ることさえも困難にしています」と言う。だがこれらの刺激がASD者の脳でどのように知覚されているのか、そのメカニズムは謎に包まれている。

篠田准教授らは、感覚過敏・鈍麻が脳神経活動としてどのように表現されているかを検証するための実験装置を作製した。マウスを覚醒した状態で顕微鏡下に置き、さまざまな感覚刺激を与えながら大脳皮質の神経活動をイメージングする仕組みだ。神経活動に伴って神経細胞内でカルシウム濃度が上昇することを利用し、カルシウムが結合するとその蛍光色を変化させるYellow Cameleonというタンパク質を大脳皮質の神経細胞に発現させ、その蛍光変化を高速度カメラで撮影することで、神経活動の時空間的変化をマッピングする。また、マウスを載せる台には圧電素子を設置し、さらに四方に身体各部の動きを記録するためのカメラを設置することで、脳イメージングと同時に身体の動きも記録する。野生型マウスと自閉症モデルマウスにこれらの装置を適用して神経活動のパターンと体躯動態の同時解析を行うことで、大脳皮質の活動が感覚過敏・鈍麻をどのようにコードしているのかを突き止めるという[図2]。

[図2] 大脳皮質における神経活動の時空間的マッピングと領域相関解析

「感覚過敏や鈍麻が大脳皮質の活動としてどのように表現されているかを明らかにできれば、感覚過敏・鈍麻をコントロールすることで、ASD者のQOLを上げることも可能になると考えています」と篠田准教授。ASDの原因究明に留まらず、ASDの予防や症状緩和など、まさに今苦しんでいる人の役に立つための研究に尽している。

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