若⼿研究者コラム

自らの意思で、自分のやりたいことを見つける

森尾 花恵

私は小さい頃からいやいやながら塾に通わされており、見ないで解けと言われた解答集をいい感じにコピーして宿題を提出していた時もあった。教育熱心な親は怒ると怖かったので、怒られないために学校では高い順位をとれるように勉強していた。しかし、塾での受験勉強には大学受験の時まで腰が入らず、大学受験では失敗して浪人することになった。

親からまた叱られると身構えていたものの、予想に反して親は私の浪人が決定したことにあまりショックを受けていなかった。また次があるさ、自分のなりたい道を進めばいいと言われ、今まで勉強!勉強!と言われていたのは何だったのだろうと拍子抜けした。親の顔色を窺う必要はない、全ては自分の意志・やる気次第だと知った瞬間、これまでになく勉強に対するやる気が沸き、浪人生活を経て第一志望の大学の薬学部に入学することができた。

それまでは言われた通りに、既に敷かれたレールの上を進むことしかできなかったが、その反動からか他人と同じレールに乗らずに違うことがしたいと思うようになった。それはまず見た目に表れ、中学・高校ではおとなしく黒髪で指定の制服を着ていたのが一転、大学ではトゲトゲがいっぱい付いた靴や服を身に着け、髪も奇抜な色に染めるようになった。大学の数ある学部の中でも薬学部は特に大人しいイメージを持たれていたため、大学内の知り合いからは薬学部生じゃないでしょとよく突っ込まれていた。

研究室配属を決める大学3 年頃からは薬学・医学の研究の世界に興味を持つようになり、自らが希望する研究室に入るために勉強に励み、入ってからも毎日夜遅くまで勉強・実験に打ち込んでいた。その後は大学院へ進学することを決めたが、これまで在籍していた薬学部ではなく、医学部の大学院に進学することにした。医学についての知識も深めたいという理由はあったが、ほんの少し女性で大学院に進学して学部も変えてっていう人なかなかいないのでは、という気持ちもあったかもしれない。博士課程では世界に通じる研究者になるという夢に近づくため、研究室のボスからは完全な同意を受けられないまま、約1年間オーストリアへ留学に行った。ボスには申し訳なかったが、自分の意志で実現できた留学生活はとても充実したものであり、行ったことに今でも全く後悔はしていない。

若い頃から自立し、自分の意志をもって行動することは難しいことかもしれない。しかし、その努力をすれば自分だからこそ築くことができる理想の未来に一歩ずつ近づくことができると信じている。自分だからできることを追求し、将来は世に新しい風を吹かすことができる研究者を目指したいと思っている。