CERT07衛生化学・環境

環境に優しい
有機分子触媒
医薬品開発に役立つ
鏡像異性体を合成する

医薬品合成に必要な鏡像異性体を作り分ける

1950年代後半から60年代前半にかけて、催眠鎮静薬のサリドマイドを服用した妊婦から奇形をもった子どもが生まれるケースが多数報告され、重大な薬害事件に発展した。この原因としてクローズアップされたのが、鏡像異性体の存在だった。

「鏡像異性体とは、立体構造が鏡に映る右手と左手のような関係にあって、互いに重ね合わせることのできない2つの異性体を指します。炭素原子を中心に4つの異なる置換基が結合する不斉炭素原子をもつ化合物には、鏡像異性体が存在します。後に分かったことですが、サリドマイドにも鏡像異性体が存在し、右手(R体)に催眠鎮静作用がある反面、左手(S体)には催奇形性がありました」と、三浦 剛教授は説明した。医薬品の多くがその構造中に不斉炭素原子をもっており、鏡像異性体が存在する。サリドマイド事件以降、医薬品開発において鏡像異性体を作り分け、それぞれに薬効と安全性を確認することが必須になった。

三浦教授は、鏡像異性体の片方を選択的に合成する反応開発に取り組み、医薬品開発に貢献することを目指している。中でも力点を置くのが、環境に優しい有機分子触媒を用いることだ。「金属触媒を使って鏡像異性体を選択的に構築できる優れた合成方法が開発されていますが、金属には毒性を含むものが多く、医薬品合成には適していません。それに加えて、近年は地球環境を汚さない化学合成法が求められていることも背景にあります」と言う。触媒だけでなく、反応に用いる溶媒も、環境汚染の原因となる有機溶媒を避け、水を反応溶媒に用いたり、そもそも溶媒を使わない反応を開発しようとしている。また一度使用された触媒はほとんどの場合廃棄されるが、三浦教授は何度もリサイクル使用できる強固な有機分子触媒を作ることも重視している。

環境に優しいDMM型有機分子触媒で新規の不斉反応を開発

有機分子触媒は、金属触媒に比べると触媒活性が弱いという難点がある。三浦教授は、過去に例のない新規骨格の有機分子触媒を開発し、そうした弱点を克服するのみならず、金属ですら実現できない反応を可能にしようとしている。その一つとして開発したのが、水素結合供与ユニットをもつオリジナルのジアミノメチレンマロノニトリル(DMM)型有機分子触媒だ。「この触媒は、既存の有機分子触媒とは異なる非常に興味深い構造特性を有しています」と三浦教授。これを用いて、従来の方法では達成できなかったさまざまな不斉反応の開発を試みている。これまでに、DMM型触媒を用いて、ケトンの炭素原子にリン原子を結合させ、98:2という極めて高い立体選択性で片方の鏡像異性体だけを合成することに成功している[図1]。この鏡像異性体の合成は、金属触媒を用いた反応で過去に一つだけ成功例があるが、有機分子触媒でそれに匹敵する高い立体選択性を実現したのは、三浦教授らが初めてだった。

図1

過去に例のない反応を開発し、新規の鏡像異性体を合成

最近の研究で、キニーネから誘導したDMM型有機分子触媒を使い、フラノン誘導体とβ-シアノエノンを反応させるという新しい合成法で、それまでにないキラル(鏡像)なγ-ブテノリド誘導体を99:1という高い立体選択性で合成することに成功した[図2]。さらにこのγ-ブテノリドを合成中間体として、新規骨格の二環性γ-ラクタム誘導体の合成も可能にしている。

図2

「特徴的なのが、合成したγ-ブテノリドは、構造内に2つの不斉炭素をもっていることです。つまり不斉炭素それぞれにR体・S体の2つずつ、計4つの鏡像異性体が存在していることになります」と言う。医薬品開発においては、すべての鏡像異性体を合成することが重要になる。そこで三浦教授は、二重結合の反対側に置換基を持つトランス体と、同じ側に2つの置換基があるシス体の2つのβ-シアノエノンを使い分け、残る3つの鏡像異性体の選択的合成を試みた。

「最初に用いたトランス体とは逆に、シアノ基とケトンが同じ側にあるシス体のβ-シアノエノンを出発物質として反応させると、先とは異なる立体構造を持つ鏡像異性体を99:1の高い選択性で合成できました」。次に三浦教授らは、DMM骨格にキニジンを結合させた新たなDMM型有機分子触媒を合成した。キニーネには疑似鏡像異性体のキニジンがあることが知られている。「このDMM型有機分子触媒を使うことで、残り2つの鏡像異性体も合成することができました」

最新の研究で三浦教授は、世界にまだ報告例のない新規な反応を開発したことを発表した。「2つのベンジル基を結合させた新規なDMM型触媒が優秀な有機分子触媒として活用できることがわかってきました」と言うのだ。

このDMM型有機分子触媒を用いて、トリフルオロメチルエノンをニトロメタンなどと反応させ、最大95:5の高い立体選択性で鏡像異性体を合成することに成功した。「金属ですらできなかった反応を、有機分子触媒で実現したことになります」と三浦教授。トリフルオロメチル基を骨格にもった鏡像異性体は医薬品にも多く、今後の医薬品創製に役立つ大きな可能性を秘めている。

三浦教授らが合成した数々の鏡像異性体が、将来、革新的な医薬品や医薬品中間体となって、医療に役立つかもしれない。

投稿日:2023年07月20日
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