アンメット・メディカル・ニーズ

緑内障治療を革新する
新しい薬を創製する

正常眼圧緑内障に最適な治療薬が望まれている

緑内障は、日本において失明の原因となる疾患の第1位を占める。視神経を構成する網膜神経節細胞(RGC)が何らかの原因で変性する疾患で、進行とともに視野が欠けていき、最悪の場合失明に至る。唯一の治療法は、眼圧を下げることだが、日本の場合、患者の約70%は正常眼圧の緑内障で、あまり効果が得られないことも多い現実がある。いまや40歳以上の実に20人に1人が発症するといわれており、正常眼圧緑内障に効く新しい治療薬が望まれている。そんな中、林 秀樹准教授は、まったく新しいメカニズムで緑内障治療薬になり得る抗体の作製に成功した。

「視神経を含めた中枢神経系では、神経細胞が障害を受けると、神経細胞周辺に存在するグリア細胞からアポリポタンパク質E(アポE)が大量に発現、放出されることが知られています。しかしなぜこの現象が起きるのか、理由はわかっていませんでした」と林准教授は研究の発端を語り始めた。林准教授によると、アポEには本来、細胞に脂質を供給する働きがある。そのため従来の研究では、神経細胞が障害を受けた時に脂質を輸送して細胞膜の修復を促進していると考えられてきた。それに対して林准教授らが打ち出したのは、「グリア細胞由来のアポEが直接神経細胞を保護しているのではないか」という大胆な仮説だった。

アポリポタンパク質による視神経細胞の保護機構を発見

これまでの研究で林准教授は、グリア細胞由来のアポEを含むリポタンパク質(E-LP)が、RGCの栄養因子欠乏によって誘導される神経変性に対し、強力な保護効果を発揮することを明らかにした。「培養液中(in vitro)で、RGCの栄養因子を欠乏させると、細胞の約90%はアポトーシス(細胞死)によって変性してしまいます。これに対し、この神経節細胞にE-LPを添加すると、アポトーシスはほとんど誘導されないことを確かめました」と言う。

ただしE-LPだけではこうした保護作用は得られない。林准教授は、E-LPと結合して神経細胞の保護に寄与するリポタンパク質受容体LRP1を特定し、LRP1を介した視神経細胞の保護機構を解明した。「E-LPはLRP1と結合すると、細胞内でPLCγ1、PKCδを介したシグナル伝達を誘導し、アポトーシスを誘導するリン酸化酵素GSK3βの活性を抑制します。これが、栄養因子欠乏によるアポトーシスから神経細胞を保護するメカニズムです」。

加えて林准教授は、グルタミン酸などの興奮性神経毒による神経変性についてもE-LPとLRP1を介した細胞保護のメカニズムを解き明かした。RGCでグルタミン酸とグルタミン酸受容体の一種であるNMDA受容体が結合すると、カルシウムが細胞内に過剰に流入し、この経路を介してアポトーシスが誘導される。「これに対するE-LPとLRP1の働きを解析した結果、E-LPとLRP1が結合するとNMDA受容体とLRP1の複合体の形成が促進され、それによって細胞外からの過剰なカルシウムの流入が抑制されることを確かめました」。

培養細胞(in vitro)での実験に続いて、林准教授は緑内障モデルマウスでもE-LPの視神経保護効果を検証した。正常眼圧緑内障モデルにはGLAST欠損マウスを使用した。GLAST欠損マウスは3週齢から6週齢で網膜神経のアポトーシスが起こり、正常眼圧緑内障(RGC変性)になる。「このマウスの硝子体内にE-LPを投与。網膜を回収してRGCマーカーを調べると、RGC変性(視神経障害)の明らかな減少が見られました」と林准教授。さらにNMDAを硝子体に投与した緑内障モデルラットを使ってグルタミン酸による視神経変性についても検証。同様の方法でE-LPを投与した後、網膜を調べ、RGC変性の減少を確認した。

新しい緑内障治療薬になり得る抗体の作製に成功

研究過程で林准教授は、もう一つ気になることがあった。それは正常眼圧緑内障患者の眼の房水中で、α2-マクログロブリン(α2M)レベルが上昇していることだった。α2Mは一体何をしているのか。培養細胞で実験し、α2MがE-LPの細胞保護効果を妨害していることを突き止めた。

「そこで緑内障モデルラットの硝子体にE-LPを注入してみると、房水中のα2Mの増加量が抑制されることがわかりました。同じく網膜のグリア細胞である初代培養ミューラーグリア細胞の培養液中にE-LPを添加した場合も、α2Mの発現・放出量が減少しました。しかしLRP1を発現抑制したミューラーグリア細胞では、E-LPによるα2Mの発現・放出量の抑制効果が減弱することが確認できました。以上から、E-LPがLRP1を介し、網膜のグリア細胞のα2M発現を抑制することが確かめられました」。つまりE-LPとLRP1は、視神経だけでなく、その周囲にあるグリア細胞にも作用して、強力な神経保護効果を発揮しているということだ。

この研究成果をもとに、林准教授らは現在、LRP1を標的とした新たな緑内障治療薬の創製に着手している。冒頭に述べたように、すでにLRP1を刺激するアゴニスト(作用)抗体の作製に成功している。「この抗体は、LRP1とNMDA受容体の複合体の形成を促進します。これによりRGC内へのカルシウムの過剰流入とアポトーシスを抑制し、視神経を保護できると考えています」と林准教授。目下、創薬に向け、さらなる研究を進めている。緑内障の治療を根本から変える新薬の誕生に、期待が高まる。