アンメット・メディカル・ニーズ

がんの薬剤耐性
問題を克服する
新しい治療標的を発見

一度効いた薬が効かなくなる薬剤耐性が分子標的薬の課題

分子標的薬の登場によって、がん治療は大きな進歩を遂げている。従来の抗がん剤は、がん細胞だけでなく正常な細胞も攻撃してしまうのに対し、分子標的薬は病気の原因となる特定の分子だけを狙い撃ちし、高い治療効果を示す。「画期的な薬ですが、問題点もあります。それは、治療を続けていくうちに薬剤耐性が生じ、がんが再び増殖してしまうことです」と佐藤礼子講師は話す。

治療薬を投与すると、最初は薬が効いてがん細胞が死んでいくが、中には抗アポトーシスシグナルなどの内的因子によって細胞死を回避する細胞集団もいる(一次耐性)。それら生き残ったがん細胞が変化して治療薬があっても増殖できるようになり(獲得耐性)、がんが再増殖するという。佐藤講師は、がん細胞における薬剤耐性のメカニズムを解明し、新しい治療薬や診断薬の開発を目指している。とりわけメラノーマ(悪性黒色腫)や大腸がんなど上皮系組織に異常をもたらす疾患に着目し、研究している。最近の研究で佐藤講師らは、メラノーマの薬剤耐性に関与する新しい遺伝子を発見するという画期的な成果を上げた。

転移性メラノーマは極めて予後の悪い難治性の悪性腫瘍だ。佐藤講師によると、メラノーマ症例の約半数でBRAF遺伝子の変異が見られ、この異常により活性化したBRAFが、がん化の要因であることがわかっている。「メラノーマの分子標的薬として、BRAF阻害剤が開発されていますが、投与して半年ほど経つと、薬剤耐性を示すメラノーマが再び増殖を始めてしまいます。私たちはこの薬剤耐性に対し、これまでにない治療標的を見出し、新しい分子機構を明らかにしました」と言う。

メラノーマの悪性化に関与する新しい遺伝子ZIC5を発見

メラノーマの増悪に関わる因子を探し出すため、まず佐藤講師らが着目したのが、上皮間葉転換(Epithelial-Mesenchymal Transition:EMT)という現象だった。佐藤講師によると、動物の発生段階で、上皮細胞が周囲の細胞との接着機能を失って遊走し、間葉系細胞へと変化するEMTが起こる。このEMTプログラムは正常組織の発生だけでなく、メラノーマを含めたがん組織でも誘導され、両者には共通の分子が関与していることが知られている。

佐藤講師らは、メラノーマと類似性がある神経冠前駆細胞に注目。神経冠細胞の形成に重要な働きをする遺伝子の中にメラノーマ増悪に関与する遺伝子が多く存在しているのではないかと推測し、そこに絞って探索を試みた。候補遺伝子群のsiRNAライブラリーを作製。遺伝子一つひとつをがん細胞において抑制し、細胞接着因子のEカドヘリンの発現抑制に機能する遺伝子をスクリーニングし、6つの遺伝子を同定した。その中から見つけたのが、ZIC5という遺伝子だった。

ZIC5の発現抑制によりメラノーマの細胞死を誘導

「ZIC5は、ヒトの正常組織では大脳皮質と精巣以外にはほとんど発現していない極めて珍しい遺伝子です。そこに着目し、ZIC5がメラノーマに与える影響を調べました」と佐藤講師。ZIC5を免疫染色し、ヒトのメラノーマ組織検体でZIC5の発現を調べたところ、約70%の症例でZIC5が高発現していることが観察された。加えて、ZIC5が過剰に発現するほど細胞移動の亢進が見られ、がん細胞の増殖や運動、浸潤が進むことが明らかになった。反対に、ZIC5の発現を抑制すると、腫瘍の増殖率が著しく抑えられることも判明した。「ヌードマウスの皮下にメラノーマ細胞を移植し、細胞の増殖を調べたところ、ZIC5の発現を抑制したメラノーマ細胞では、30日以上、ほとんど増殖が見られませんでした」。

次いで佐藤講師らは、ZIC5の薬剤耐性に対する影響を調べた。「ZIC5の発現を抑制したメラノーマ細胞にBRAF阻害剤を添加したところ、わずか48時間で約70%のメラノーマ細胞が、アポトーシス(細胞死)を起こすことがわかりました」と言う。

しかし問題は、一度はメラノーマ細胞が減少しても、時間と共に薬剤耐性細胞が出現し、再び増殖を始めることだ。「ところが驚いたことに、ZIC5を発現抑制したメラノーマ細胞では、BRAF阻害剤でほとんどすべての細胞が死滅したため、薬剤耐性細胞は観察されませんでした。加えて、ZIC5を阻害すると、BRAF阻害剤に対して耐性を獲得した耐性株でも細胞死が誘導されることがわかったのです」。

佐藤講師らは、ZIC5の作用機序を解析。ZIC5が、一次耐性においては抗アポトーシスシグナルの活性に関与すること、さらにその活性経路がBRAF阻害剤によって遮断されても、別のバイパス経路を活性化することで再び抗アポトーシス因子の発現を誘導し、獲得耐性細胞を出現させることを突き止めた。

以上から、ZIC5はがん細胞の薬剤耐性を減弱させる上で、非常に有望な治療標的になり得ることが明らかになった。「ZIC5は、ヒトの正常な組織ではほとんど発現しないため、阻害しても人体に悪影響を及ぼす可能性は低い。その点でも極めて有望といえます」。

すでに佐藤講師らは、ZIC5を標的として、がん細胞の薬剤耐性を阻害する化合物のスクリーニングをスタートさせ、いくつかの有望な候補化合物を見出している。ZIC5は多様ながん組織で発現することがわかっており、もし有効なZIC5阻害剤を作ることができれば、多くのがんで薬剤耐性の問題を解決できるかもしれない。大きな期待を背負い、佐藤講師らは研究を進めている。

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